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明石のランドマーク「明石市天文科学館」のある人丸山には柿本神社がある。 祭神は万葉歌人の柿本人麻呂だ。地元の人々からは「ひとまるさん」と呼ばれ親しまれている。 元々は現在の明石城本丸辺りの人丸塚と言われる所で祀られていたが、明石城築城に伴い、元和6年(162 0)藩主小笠原忠政(忠真)が現在地に祀った。 麓の東の登り口には鳥居と石灯篭が建っている。 石の鳥居の台座には「寛政元年」の銘が確認できた。 社殿の左には絵馬が多く掛けられていた。時節柄、受験合格祈願のものがほとんどだった。 狛犬 社殿前の狛犬の台座に宝暦4年(1754)の銘があり、播磨で最も古いといわれる。 寛文4年(1664)明石藩主松平信之は和歌の隆盛を願って建てたもの。銘の撰文は幕府儒官大学頭林春斎、人麻呂の伝記が記されている。 ここに刻まれている漢文1712文字を一息に読むと台座の亀が動き出すと言われている。 境内には赤穂浪士間瀬久太郎が主君の仇討を祈願して植えたと伝えられる八房の梅が植えられていた。 一つの花に八つの実を結ぶそうだ。 なお、隣の月照寺の境内にも八房の梅があった。 人丸神社南面(ちょうど天文科学館の裏)に建っていた。 蛸壺や はかなき夢を 夏の月 旅をを栖とした松尾芭蕉(1644〜94)にとって、明石は西の果てであった。 この句碑は芭蕉の75回忌に当たる明和5年(1768)青羅によって建てられたが、その後倒壊したので玉屑が復興、更に魯十が再建した。 柿本神社の西の登り口に、清らかな水が流れ続ける亀の水があった。 石の手水鉢の側面に「常陸国 飯塚宣政」の文字が刻まれている。 享保4年(1719)常陸国の目明し飯塚宣政が、罪人を追って明石までやってきて、人丸社(柿本神社)に祈願して無事に役目をはたすことができたお礼に寄進したものだそうだ。 ポリタンクやポリボトルを持参して、順番待ちして水を汲む人々が多くいた。 |
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