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ここ数年の間に何回来たことだろう、この首里城及び周辺には。 那覇へくる度に、大抵来ている。 投宿するホテルから近いことに理由もあるが、幾度訪れても飽きることがないからだ。
大概の観光客はここを通る入る。「守禮之邦」の扁額が掲げてあるから「守礼門」の名で知られている。 2千円札の図柄にもなっている。 入口辺りでは花笠を冠り、花柄の琉球衣装を着たご夫人が微笑んでくれる。 一声かければ、一緒に写真に入ってくれるし、撮らしてくれる。それが商売だからだ。 門の前の両脇には、夏の花、ブーゲンヴィリア、ハナチョウジ、ホウオウボクが満開だった。 守礼門は4代尚清王(在位1527〜1555)に建てられた。正式には「上の綾門(ウィーヌアヤジョウ)」と言い、冊封使を首里城に迎える公道「綾門大道(アヤジョウウフミチ)」に設けられた門だ。なお、「下の綾門」は明治時代撤去された。 「守禮之邦」の言葉は中国皇帝からの文書にあった文言で、「琉球は守礼の邦と称するに足りる」と言うくだりから来ているそうだ。
守礼門を過ぎると直ぐ左手にある石造りの御嶽(ウタキ=礼拝所)で、世界遺産に登録されている建築物 だ。 木製の門扉以外は全て木造建築を模した石造となっており、門背後の杜が御嶽(ウタキ)と呼ばれる聖域 である。王が出御の時、道中の安泰をこの石門前で祈願したと言われる。 1519年尚真王が建てたが、沖縄戦で破壊された。 今のは、アメリカ統治時代の1957年再建したものである。
歓会門から城内に入り、更に幾つか門を過ぎると下之御庭(シチャヌナー)に来た。 その中央に石垣に(玉垣と言った感じで)囲まれた木々の茂った箇所があった。 これが、首里森御嶽で城内にある礼拝所の一つで、琉球最古の歌謡集「おもろさうし」に数多く詠まれて いるそうだ。神話では「神が作られた聖地である」としるされている。 首里城には「京の内」など御嶽が数多くあり、聞得大君などの神女により王家繁栄、五穀豊穣が祈られ たそうである。
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九州紀行
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