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中国や日本の影響をうけながら琉球独特の技術によって建てられた首里城。 その中心「正殿」近くには2つの御庭と呼ぶ広場がある。 一つは、「下之御庭(シチャウナー)」、もう一つは「御庭(ウナー)」である。 「漏刻門」を過ぎ、「広福門」を抜けるとそこは「下之御庭」だった。 御庭に入る前の広場で、御庭で行われる儀式の控えの広場として利用された。 広福門を抜けると東側に「奉神門」が聳え、広場の中央に「首里森御嶽(スイムイウタキ)」が目に入る。 西側奥から見る下之御庭 左手前の建物は「系図座・用物座」と呼ばれる保管庫、今は休憩所、案内書となっている。広福門はかくれて見えない。 中央奥は「奉神門」。「御庭」へ続く最後の門3っつの入口があり、中央の門は国王や身分の高い人だけが通れた。今は中央が主権者たる国民一般人の入口となっている。 その奥に建つ「正殿」や「南殿」の屋根の一部が覗いている 中央手前が「首里森御嶽」 右手の石垣から南は「京の内」と呼ばれる城内最大の祭祀空間だった。今は石垣だけだった。 「京の内」の石垣から見る「広福門」(右手)、「系図座・用物座」(左手) 「広福門」の東側には戸籍を管理する「大与座」、西側には寺や神社を管理する「神社座」があったと言う。 「京の内」の石垣の橋から「御庭」が俯瞰できた。 「御庭」は「正殿」や「南殿・番所」、「奉神門」、「北殿」に囲まれた首里城の中心的広場で、年間を通じて様々な儀式が行われてきた。 「南殿」は主に日本風の儀式や薩摩の役人たちの接待所 「番所」は首里城に登城してきた役人たちの取次所 現在は展示室 「北殿」は大臣に当たる「三司官」や多くの役人が務めた所。冊封使歓待やペリー提督の歓迎式(1853年) に使われた。現在は展示・休憩コーナー、売店 |
九州紀行
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