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JR山陽線大久保駅で下車する。 Tさんから借りた「ロマンあふれる街・明石」など明石観光協会が発行したパンフレットや冊子を持って だ。 北側のバスロータリーから東への細い道があり、それが旧西国街道らしい。 大久保駅がら約400m東に歩くと今にも崩れそうな洋館があった。 ここは明治18年(1885)明治天皇が山口県に行幸された帰り寄られ、ここで休憩されたとのことだ。 だから、この洋館はその建物かと思ったが、後でTさんから洋館は後日建てられたもので関係ないとのこ とであった。 安藤家洋館 設計は加藤谷祐太(ナガヤユウタロウ 東大寺改修工事、明石中崎公会堂の設計に携わった) 大正7年(1918)着工したが、未完のまま現在に至っている。 明治天皇小休所跡碑 敷地の門前には「明治天皇大久保御小休所建物」の碑が建っていた。 当時は、本陣をしていた安藤宅にあったが、大正8年(1919)現在地に移されたものだ。 大久保は明石と加古川の中間の宿場として栄え、商家80軒、内旅籠10軒で本陣が安藤家、脇本陣が林 屋家が務めていた、と言う記録がある。 大久保本陣跡 明治天皇御小休所跡から東に約500m歩いて行くと古い家並みが目に入る。 その中で倉や門構えの立派な民家がある。案内板や説明板がないが、これが大久保本陣跡らしい。 表札を見ると「安藤」となっており、今直本陣の頃の子孫がお住まいのようだ。 本陣は明治末に取り壊され、母屋は西脇の西光寺に、門は近くの東光寺に移築されたと言う。 東東光寺 本陣跡から旧西国街道を離れ、北にすすむ。国道2号を渡り、400mほど行くと 正東山東光寺と言う真宗大谷派の寺がある。近くに同じ名前の寺があるので、区別するため東東光寺と呼ばれている。 この寺の山門は本陣の門を移築したものだったが、老朽化のため平成8年(1996)新築されていた 西東光寺 東東光寺から北西に約200mのところに西東光寺があった。 正式には本源山東光寺といい、真宗興正寺派の寺だ。 住職の祖先は代々学問を好み、寺子屋を安政年間(1854〜1860)から明治4年(1871)頃までの約20年間続けたそうだ。 西東光寺から約800m、ちょうどJR大久保駅の真北に当たる近くに解脱山光触寺がある。 光触寺表門 表門の医薬門は姫路城主池田輝政の寄進によるものだ。寄進状も残っているそうだ。 光触寺本堂 境内に入ると、正面に本堂が建っている。 なかなか堂々とした立派な本堂だ。 太閤の腰掛松 本堂の前に覆いを掛けた切り株があった。 天正6年(1578)三木城攻めの際、羽柴秀吉が腰掛け、休息したとのことだ。 |
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