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京での優雅な生活から自ら退き、須磨に隠遁した光源氏だが、都との結びつきを深めたいと思う地元の受 領階級が見逃すはずが無かった。 明石の入道は「一族から皇子が生まれる」との霊夢を信じ、光源氏に接近する。 光源氏は入道の娘「明石の君」と逢瀬を重ねやがて女児(明石の姫君)をもうける。・・・ と源氏物語(13帖「明石」)は語る。 フィクションである源氏物語のゆかりの地が明石にも存在すると聞いたので訪ねてみた。 明石駅から南へ10分位歩いた処にある月池山光明寺(通称朝顔光明寺)の境内の隅にある1坪程度の小さな池だった。光源氏が境内にあった月見の池に映る月を見て「秋風に 波やこすらむ 夜もすがら 明石の浦の 月のあさがほ」と詠んだとか。 池には水が張られておらず、周辺は手入れが悪くとてもそんな光景を想像できない。「悪い冗談はよしてくれ」と心の中で叫んだ。 明石市内では最も古い寺と言われている。大化年間(645〜650)に法道によって創建され、その後焼失したが、保元元年(1156)当時播磨守だった平清盛が再興したという。 そして、明石藩主松平忠国が明石入道が住む「浜辺の館」跡と見立てた。 善楽寺境内の隅にある石造りの五輪塔で高さ3.4mある。 平敦盛が建てたと言われる。 光源氏古跡明石の浜の松と同碑 本堂前にあり、石碑は松平忠国が建てたと言われている。 明石入道の碑 光源氏が住んだ明石入道の「浜辺の館」とされる。碑は松平忠国が建てたと言われている。 蔦の細道 無量光寺山門前の白壁の小道は「蔦の細道」といわれ、光源氏が明石の君の住む「岡辺の館」まで通ったとされる道。 江戸時代に名工左甚五郎作といわれる、総檜造りの門。無量光寺は光源氏が月見をしたと言われる処から山号は「月浦山」。 本堂はコンクリート造りだった。光源氏はどの辺りから月を見たのだろうかと想像した。 因みにこの寺は江戸時代に中興されたとも、近在の江井ヶ島から移ったとも言われてる。 夕日が浮かび、きらめく波、緑豊かな淡路の島影。 この明石の光景を あはと見る 淡路の島の あはれさへ 残るくまなく 澄める夜の月と光源氏が詠む。 ここに来たら光源氏も、明石の入道も、明石の君も 皆実在したかのように、ゆかりの地が存在してい た。 いと不思議な空間だった。
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