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備中松山城は高梁市市街地の北端にある臥牛山の一つ小松山(標高約430m)を中心に築かれた城である。 天守が現存する山城としては随一の高さを誇る。 訪れた時は観光シーズンとあって、車は麓近くの駐車場で止められ、ここから中腹までシャトルバスを利 用し、後は二本の足で登る。 この城の歴史は古く鎌倉時代、延応2年(1240)有漢郷の地頭に任ぜられた秋葉三郎重信により臥牛山の大 松山に砦を築いたことに始まる。 その後小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化したが現存する天守などは天和3年(1683)水谷勝宗 により修築されたものと伝えられる。 その水谷家も嗣子が無く元禄6年(1693)断絶。この時忠臣蔵で有名な浅野長矩の家老大石良雄が受け取り その後の処理をしている。 明治になり放置されていた時期があったが、今は重要文化財に指定されている。 本丸 土塀、南御門、五の平櫓(以上 復元)、天守(右端奥) 天守 木造本瓦葺き二層二階の建物である。 高梁市市街地 二ノ丸辺りからの眺望。未だ霧が残っていた。 なお、江戸時代以前の天守が現存する城は次の12城だ。 |
山陽紀行
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