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関門トンネル(人道)を歩き門司側から下関側にでた。人道の出入り口前は国道9号でひっきりなしに車 が行き交っていた。 国道に沿って下関市街方向に約10分歩くと赤間神宮が右手にあった。 左手の海は霧に包まれていたが、赤間神宮周辺は晴れていた。ここへ来るのも二十数年ぶりだ。 国道に面して建っている鳥居側から見ると、境内の太鼓楼、水天門の朱色が鮮やかだ。 赤間神宮 赤間神宮は数え8歳で入水した安徳天皇を祀る神社だ。神門は竜宮城を模した門で、安徳天皇が水天宮の 祭神とされることから水天門と呼ばれる。 水天門(左手一部は太鼓楼) 水天門は昭和32年(1957)築であるが、向って左手の太鼓楼は平成2年(1990)築とのこと。だから、前回訪れた時は無かったはずだ。 水天門を通ると正面に拝殿が建っていた。今では神社として祀られているが江戸時代までは阿弥陀寺御影 堂として祀られていた。 拝 殿 寿永4年(1185)壇ノ浦の戦で入水した安徳天皇の遺体は御裳川(ミモスソカワ)で引き上げられ、赤間関紅石山麓 の阿弥陀時境内に埋葬された。 建久2年(1191)勅命により御陵に御影堂が建てられ、江戸時代までは寺に祀られた。 明治の神仏分離により阿弥陀寺が廃され神社となったのだ。 一時、天皇社と称したがすぐに赤間宮という名称になり、昭和15年(1940)より赤間神宮と称するように なった。 因みに、神社の初代宮司は、幕末長州の志士の活動資金をほとんど出した下関の豪商白石正一郎だった。 安徳天皇陵 平家一門之墓 芳一堂 耳なし芳一を祀り、琵琶弾く芳一像が安置してある。 耳なし芳一の話はラフカディオ・ハーンに紹介されて有名な話ですね。 宝物殿内部 安徳天皇神像や源平合戦図を展示してあった。 山鳩色の御衣に びんづら結はせ給ひて 御涙におぼれ、ちいさくうつくしき御手をあはせ まづ東をふしをがみ、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、 其の後 西にむかはせ給ひて 御念仏ありしかば、二位殿やがていだき奉り、「浪の下にも、都のさぶらふぞ」となぐさめ奉ッて ちいろの底へぞ入り給ふ。 「平家物語」巻第11 "先帝身投"より (幼帝安徳天皇は)山鳩色の御衣にみずらをお結いになって、涙を激しく流されながら、小さいかわいらしい御手を合わされ、まず東に伏し拝み、伊勢大神宮にお暇を申された。次いで、西に向かわれ御念仏を唱えられたので、二位殿はすぐさまお抱え申し上げ、「波の下にも都がございますよ」とお慰め申し上げて千尋もある深い海の底へお入りになった |
山陽紀行
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