ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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JR姫路駅で下車、姫路城手前で右手に曲がると程なくして、朱色の鮮やかな門が目に入いった。

ここが播磨国総社と呼ばれる「射楯兵主(イタテヒョウズ)神社」だ。

朱色の門は総社御門と呼ばれる門で、神社の西門だ。

射楯兵主神社は射楯大神、兵主大神を、境内摂社末社には天照大御神、ゑべっさん、を始め、64座の神々

を祀り、総社の名の由来となっている播磨国神殿には播磨国内の大小明神174座の神々を奉斎してい

る。

したがって、正月の初詣ではこの辺りで最も賑わう神社の一つである。

創建は8世紀以前にさかのぼる。

欽明天皇25年(564)6月11日影向があり、飾磨郡伊和里水尾山に兵主大神を祀った。

また、奈良時代(700年代)より飾磨郡因達里に射楯大神を祀っていた(「播磨国風土記」)。

「延喜式」神名帳に「射楯兵主神社二座}とあり、平安時代(800年代後半)には二柱の神が一緒に祀られ

ていたようである。

平安時代末の養和元年(1181)11月15日播磨国内16郡大小明神174座を併せ祀り、「播磨国総社」と称した。

天正9年(1581)羽柴秀吉が姫路城築城の際、現在地に遷座したという。

昭和20年(1945)姫路大空襲により焼失し、戦後再建したものだ。

本殿の南に正門である神門(南門)があり、本殿の北側に神殿があった。

本殿の前で礼法通りに参拝し、東側の境内を周っていると、「鬼石」と言う石があった。

鬼石は、昔源頼光が大江山の鬼賊を討伐した折、その首を持ち帰り「案内社八幡宮」の傍らに埋めて標石

としたものだそうだ。厄除けにご利益があるらしく、自身を祓った厄除け串が多数石の上に置かれてい

た。


イメージ 1

           総社御門


イメージ 2

           神門(南門)


イメージ 3

           拝 殿
奥に本殿があり、
本殿に向かって右側に射楯大神(イタテノオオカミ)、左側に兵主大神(ヒュズノオオカミ)を祀っている。


イメージ 4

           鬼岩


因みに、射楯大神とは五十猛尊(イタケルノミコト)のことで、素盞鳴尊の子
 また、兵主大神とは大国主命あるいは大黒様である。

なお、総社ついては関連記事に既に記しているのでそちらを参照のこと。


     関  連  記  事




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元伊勢、籠神社の海部氏系図。尾張氏系図等々。では、
天火明命の孫、天村雲命の又の名を建(武)位起命。タケ・イタテ、イタケの命と伝えています。。
五十猛命はイソタケルの命と通常呼ばれますが、五十はこれで『イ』と読むのが古例。
となると、五十猛はイタケ、イタケルと読むのが順当かと。
そうすると、五十猛命は建位起命で天村雲命と言う事に成ります?
他方、イソタケルと読むと、イソは磯で石、母音転訛で伊勢。
伊勢猛命(=伊勢津彦命=出雲猛命)とも同音異表記で同義にも成ります。
石はイワとも読むので、石神、、岩神、、伊和神。
イサ、イソ、イセ、イシ等は遥か異国の古代言語と景教(東洋キリスト教)の空耳では救い主(指導者)、救世主。
某極秘伝では天村雲命は出雲神族の多大な援助の元に初代ヤマトの大王=倭大国主命(大己貴命)になった云々。
系図等々〜拝察、愚考すると所謂、神武天皇のモデルと思われる事ばかり。
日本書紀には神武天皇の諱をホホデミの命、神倭磐余彦ホホデミ命と明記。
天火明命/彦火明命の又名がホホデミ命。

2013/8/26(月) 午後 3:30 [ たぬき ]


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