ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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南海堺駅で下車、堅川沿いの道を通り、旧堺港の先端にある旧堺灯台を見に行った。

堅川沿いには、堺港事件発生の碑、と天誅組上陸の地の碑が並んで建っていた。


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堺事件発生の碑
堺事件とは慶応4年(1868)大政奉還後の混乱した世情のもと、警護にあったって居た土佐藩士が無通告で
上陸してきたフランス水兵に殺傷を追わせた事件。結局土佐藩士11名が切腹させられた。


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天誅組上陸の地の碑
文久3年(1863)長州藩勤皇派が天皇攘夷祈願の大和行幸と称して討幕軍を起すことを企てた。
これに呼応して、吉村寅太郎ら天誅組が先回りして討幕軍を迎えようと京都を出発、淀を下り、
大阪湾から堺に上陸し、大和に向うと五条代官所を襲撃した。しかしながら、政変により長州勤皇派が失脚し、大和行幸が中止になった為、天誅組は追討され壊滅した。



巨大な堅川水門を過ぎると、旧堺港があり、中央に龍女神像が港を睥睨するかのように建っていた。


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龍女神像
明治36年(1903)開催された第五回内国勧業博覧会の際、会場となった大浜公園の水族館前に設置され、博覧会終了後は「乙姫さん」の愛称で親しまれたが、昭和49年(1974)水族館廃館とともに撤去された。
堺市ではこの像を平和と繁栄の象徴として平成11年(1999)の市制110周年記念事業の一環として当地に復元設置したもの。(像:高さ10m燐青銅製、台座:高さ16m御影石貼り仕上げ)


ここが、かっては異国船が頻繁に出入りし、堺の「黄金の日々」を支えたのであろうか?

しかし、現在は旧港の沖の方も埋め立てられ、堅川の一部に過ぎない。

堅川に沿い、沖に向って歩く。阪神高速4号湾岸線の下を抜けた突端に、旧堺灯台が建っていた。


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旧堺灯台
明治10年(1877)建築された洋式木造灯台、所在を変えず現存する木造洋式灯台としては我が国では最も古

いものの一つだそうだ。

約100年間大阪湾を照らし続けたきたが、沖に向って広がる埋め立ての為、その役目が果たせなくなり、

昭和43年(1968)その灯りを消した。 昭和47年(1972)国・史跡に指定。

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ランダムから来ました。堺は朱印船貿易で栄えた港。これからも、いつまでも異文化に開かれた町であってほしいと願います。

2009/1/28(水) 午後 6:48 パピヨン


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