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堺事件で11名の土佐藩士が切腹した妙国寺の境内には大きな蘇鉄が植えられていた。 戦国時代、天下統一を目指していた織田信長は天正7年(1579)この蘇鉄を安土城に移植した。 しかし、毎夜「妙国寺へ帰ろう」と言う怪しげなこえが城中に聞こえ霊気が城中を悩ますにいたった。 激怒した信長は蘇鉄を切らせようとしたところ、切り口より鮮血が流れ、悶絶の様は恰も大蛇の如く見 え、さしも強気の信長も怖れ、即座にこの樹を当山に返したといわれている。 この大蘇鉄の所以であろうか、境内には蘇鉄を使った枯山水の庭が造られていた。 また、境内には当寺の蘇鉄に関わりを示す碑が置かれてあった。 天正10年(1582)本能寺の変の際、堺を訪れていた徳川家康はこの寺に宿泊していた。変を聞き急ぎ三河に帰った。徳川家康が当寺を詠んだ妙なりや 国にさかゆる そてつぎの ききしにまさる 一もとのかぶが刻まれていた。 明治28年(1895)に詠んだ句朝寒や 蘇鉄見に行く 妙国寺 「故郷」と言う詩が刻まれていた。堺の街の妙国寺 その門前の包丁屋の・・・青い芽をふく蘇鉄をば 立って見上げたかなしさか・・・ |
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