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地下鉄「長田」で下車し、徒歩10分位のところに長田神社がある。 神功皇后摂政元年(201)2月皇后が新羅からの凱旋の途中、武庫の水門(ミナト)にて「我を長田に祀れ」との お告げにより、山背根子(ヤマシロネコ)の女、長媛(ナガヒメ)をして創建された神社である。 残暑厳しい昼間に訪れたが、参拝者の姿はほとんどなく、お札や、御守、絵馬等を授与している巫女さん は暇そうな顔していた。 社 頭 社頭には苅藻川が流れ、朱塗りの欄干の八雲橋がかかっている。文化9年(1812)橋が架けられたが、それ以前は参拝者は川の置石を裸足になって渡っていたそうだ。 神門・廻廊 社殿前には神門と廻廊があり、その周りには大きな楠などが杜を造っていた。 古伝によれば、「鶏鳴の聞こゆる里は、吾が有縁の地なり」とのお告げにより、長媛がここに祀った。 それ故、鶏は神のお使いとして尊ばれ、昔は鶏が境内に多くいたが、今は放たれていないのか、今日は全く姿を見なかった。 拝 殿 祭神は事代主命(コトシロヌシノミコト=恵比須さま) 平成7年(1995)1月17日の阪神淡路大震災では半倒壊状態になったそうだが、今は完全復旧している。 楠宮稲荷社 神殿の北側にある摂社。 古伝によると、6世紀頃の初秋、繁殖のため岸近く寄って来た赤えいの群れが、夜の台風により増水した苅藻川を遡り、水でひたひたの境内に入り、近在の人がこれを発見捕獲しようと後を追ったが、御神木「樟」の付近で見失ってしまった。 以来、この御神木「樟」は、神の化身である「赤えい」の宿る所「長田神社摂社・楠宮稲荷社の御神木」と崇敬されてきた。 明治25年(1892)頃から奉納され始めた。 年齢、干支、男女の別を書きご神木周囲の透垣にかけて祈願する。 楠宮稲荷社社殿の奥に生えている樟の大木、これがご神木だ。その前の透垣に多くの赤えいの絵馬が奉納されていた。あらゆる疾病に効験あるとの病気平癒の深い信仰があるが、その多くは痔疾平癒の祈願であり、楠宮稲荷社は「痔の神様」といわれている。 しかし、さっと観た所、受験合格祈願や、恋愛成就祈願などもあった。 |
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