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大阪天満宮の参拝を終え、天神橋筋商店街を北に歩く。 暫らくして、西に曲がり与力町を過ぎ、堀川夷神社近くに成正寺という日蓮宗のお寺があり、門前に中斎 大塩平八郎墓所の標識があった。 大塩平八郎の乱は天保8年(1837)元大阪与力で陽明学者の大塩平八郎が幕政を批判して養子の格之助と共 に立ち上がった乱であったが、内通者が居たこともあって、半日で鎮圧された。 この時、大阪の5分の1ほど焼け、大阪天満宮も焼けている。 首謀者大塩父子は約40日後大阪に潜伏している所を探知され、自害している。 なお、この乱は、幕政の中枢都市・大阪で、しかも元与力であり、著名な陽明学者であった人物が首謀 したことによりその影響は大きかった、と言われている。 天神橋筋商店街二丁目入口 入口には天神祭りを飾る「御迎人形(オムカエニンギョウ)」が飾ってある。 成正寺 門前に「中斎大塩平八郎墓所」の標石が建っている 平八郎・格之助の墓 門をくぐると正面に大塩平八郎と大塩格之助の墓が並んで建っていた。 近くの堺筋通りに面して日蓮本宗の寺蓮興寺があり、そこが大塩家墓所で門前に標柱が建っていた。 |
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