ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

山陽紀行

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JR岡山駅から駅前の通りを25分ほど歩くと三名園の一つ、後楽園があった。
旭川岸に岡山城があり、その対岸の中洲に後楽園が設けられていた。
後楽園は岡山第2代藩主池田綱政が家臣の津田永忠に命じ作庭させたもので、元禄13年(1700)に一応完成した大名庭園である。
明治17年(1884)岡山県に譲渡され一般公開されるようになった。
昭和9年(1934)の水害、昭和20年(1945)の戦災では大きな被害を被ったが、江戸時代の絵図を基に復旧が行われ、昭和27年(1952)には特別名勝に指定されている。
名称は、岡山城の後に造られた園という意味で「後園」と呼ばれたが、明治4年(1871)「先憂後楽」から「後楽園」と改められた。
園内は広い芝地と築山、茶室が水路で結ばれ、歩きながら移り変わる景色を眺める「回遊式庭園」だった。
 
 
イメージ 6
延養亭
藩主に居間で園内で最も重要な建物だったが、戦災で焼失。
昭和35年(1960)築庭当時の間取りに復元
園内外の景勝が一望できるように作られている。
歴代藩主もここから眺めた。
 
 
 
 
 
 
イメージ 1芝原越しに廉池軒、岡山城を望む

 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2廉池軒
廉池軒は戦災を免れた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども往時の姿を今に伝えているという。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
沢の池と唯心山(築山)
沢の池は園内で一番大きな庭、左手に築山の唯心山があり庭園を立体的な景観にしている。
唯心山は池田綱政の子・継政の時、築かれた。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4唯心山から
園内で一番大きな池「沢の池」、中央に中の島があり、
島に橋が架けられ、島には「茶屋」が建っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5茂松庵
林の中に建てられている茶室
歴代藩主はここで茶の湯を楽しんだという。
戦災で焼失後園内で最初に復元された。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7慈眼堂
池田綱政が元禄10年(1697)に池田家と領民の繁栄を祈願して建立。当時は観音像を祀っていたが現在は空堂である。
 
 
 

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