ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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兵庫七福神8、福海寺


福海寺は柳原蛭子神社の北側に建ち、正しくは大光山福海興国禅寺、臨済宗南禅寺派の寺院である(地図)。

門前には「開基 征夷大将軍足利尊氏公」の石柱が建っていた。

後醍醐天皇に反旗をひるがえした足利尊氏は、建武3年(1336)京都合戦に破れ、丹波路から兵庫に出た。

しかし、新田義貞軍に追われ、福海寺の前身である「針が崎観音堂」の壇下に身を潜ませ辛うじて命を取

り留め、九州に落ち逃れた。

その後足利尊氏は九州より攻め上り、兵庫に再上陸し、湊川の合戦で勝利した。

室町幕府を開いた尊氏は康永3年(1344)報恩のため福海寺をひらいたのだ。

足利尊氏御詠歌
彼の岸へ 渡す誓ひの 船出には 我も乗りさん 賽の火の海


本尊は釈迦三尊だが、法堂に祀られる大黒様の方がよく知られている。

足利氏が大黒天を篤く信仰していたことによる様だが、柳原の大黒天として庶民に信仰され、

昔から毎年1月9日〜11日の縁日には大勢の参拝客で賑わう。

なお、境内の向って左手に「時雨の松の碑」があった。 時雨の松は平清盛が愛した松といわれ、

元々は範国寺にあったが、戦災で焼けた。

残った切り株も平成7年(1995)に起きた阪神・淡路大震災の後、マンションの建設で無くなってしまい、

碑だけをここ に移されたとのこと。


イメージ 1 福海寺門前
正面に、「雲海堂」の扁額を掲げた法堂が建っている


イメージ 2

                           法堂内部
須弥壇には、真っ黒な鎧を着た憤怒相の大きな大黒天と、その前ににこやかな大黒天の、二体の大黒天が安置してあった。


イメージ 3 大黒天土人形
ここの参拝を終えて兵庫七福神巡り満願である。


兵庫七福神


和田宮:弁財天

薬仙寺:寿老人

真光寺:福禄寿

能福寺:毘沙門天

柳原天神社:布袋


海福寺:大黒天

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ブログに記事を投稿したところ、

こんな記事もあります・・・と紹介されました。

早速訪問させて頂きました。ありがとうございました。

2010/7/23(金) 午後 6:32 [ 出水の秀ちゃん ]


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