草津温泉の観光スポット「湯畑」の近く、「湯畑」を見下ろすような高台に光泉寺がある。 観光スポットではないのか、それとも朝の所為なのか、境内には温泉客の姿が全く見られず、時折地元 の人が近道代わりに境内を横断していく位だった 山号は草津山 真言宗豊山派の寺で、養老5年(721)行基の開山と伝えられる古刹である。 行基が病人の為祈って杖を突くと地面からお湯が湧き出し、そこにお堂を建てたのが寺の始まりという。 その後衰微したが、正治2年(1200)草津領主湯本氏が白根明神の別当寺として再建したと言い伝えられて いる。 本堂および釈迦堂で、旅の安全、諸病平癒、家族安泰、云々を祈願し、境内を一通り巡った後、再び湯畑 に下りていったが、湯畑はすっかり陽に照らされ湯気はほとんど見られないし、観光客の姿も全く見られ なかった。4〜5人の清掃する人がいただけだった。 本堂と本尊薬師如来像 有馬の温泉寺と共に日本三大薬師の一つという。因みに、後の一つは、山中温泉の薬師院温泉寺、あるいは城崎温泉の温泉寺、あるいは道後温泉の石手寺のいずれかだそうだ。 関東薬師霊場第44番札所 釈迦堂と本尊釈迦如来像 元禄16年(1703)江戸の医師外嶋玄賀によって建てられた。元禄時代の様式を残す。 本尊は奈良東大寺の広慶上人の作で、元禄の大仏修造の際、大仏内腹の骨木で二体の釈迦如来像を作り、 大仏修造に貢献した玄賀にその1体を贈ったもの。 玄賀は夢に藁屋二間四面の堂に安置せよとの仏のお告げを受け、草津入湯の折、この地に釈迦堂を建て安置したもの。 魚を入れた籃を裳裾にささげた優美柔和な面持ちが美しい石仏、高さ約1m。 明和8年(1771)草津温泉の代表的料亭桐屋・高原長右衛門が草津町泉水にある金比羅社に奉納したもので、明治初の神仏分離による散逸破却を免れ、明治10年(1877)に移されたもの。 境内には5基の宝篋印塔があるが、享保19年(1734)中之条町の二宮治左衛門が奉納したものが最も古い。 塔身正面には宝篋印陀羅尼経が刻まれ、経文には「この塔も一香、一華を供え、礼拝供養すれば八十億却生死重罪が一時に消滅し、生きている間は災厄を免れ、死後は極楽に生きる」と功徳が説かれている。 一茶は草津の俳人黒岩鷺白と親交があり、度々草津を訪れている。 「湯けむりに ふすぼりもせぬ 月の貌(カオ)」は文化5年(1808)草津を訪れたことを綴った「草津道の記」に記されている句 |
関東紀聞
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