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「大ざっぱなことを言えば、仏教には2つの流れがあるように思う。一つは市井に埋没する。俗世間の なかで人々とともに生きてゆく、という考え方だ。・・・・そして、もう一つは世俗を離れて 深山に入り、自然とともに生きる、という考え方である。」(五木寛之「百寺巡礼」第2巻) 曹洞宗大本山永平寺は、越前国山奥に建立された。今では,七堂伽藍をはじめ大小70余りの建物が山肌に 沿うように建ち、200人余りの雲水たちが修行に励んでいる。 拝観中も読経の声、鐘や版の音などが響き、寺が修行道場として活きている事が実感できた。 なお、松尾芭蕉もわざわざ立ち寄っており、次のような感想を記している。 五十丁山に入りて、永平寺を礼す。 道元禅師の御寺也。 邦畿千里を避けて、かかる山険に跡を残し給ふも 貴き故有とかや。(松尾芭蕉「おくのほそ道」45) (街道から逸れて50丁ばかり山に入り永平寺を参拝した。永平寺は道元禅師がお開きになった寺である。 都から遠いこんな山中に寺を残されたのも、仏道修行に対する道元禅師の尊いお考えがあったからだという。) 僧 堂 明治35年(1902)改築、「雲堂」「坐禅堂」とも呼ばれる。 坐禅、食事、就寝に至るまで修行の根本道場、内部を覗くと、中央に文殊菩薩を安置しているとのことだが遠くからは暗くてお姿が良く分らなかった。 約90名が坐禅できる「単」と呼ばれる席が設けられており、天井からは大きな魚版が吊り下げられていた。 僧堂、東司(トウス お手洗い)、浴室は三黙道場といって、一切の私語は禁止 大庫院(ダイクイン) 昭和5年(1930)改築 玄関正面には「韋駄尊天」が祀られていた。 1階は台所、2階は来賓接待の間、3階は大広間となっている。 大庫院の玄関右の柱にかかっていた。 長さ4m、胴回り1mあり、3回撫でると料理が上手になるそうだ。 雲版と巡照板 いずれも廻廊に吊り下げられていた。 時や日課の合図を行うものだ。 |
北陸紀行
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