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近鉄南大阪線「古市」駅の近くに木々の茂る境内をもつ神社があった。 そこは日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と素盞鳴命を祭神とする白鳥神社だった。 元々は軽墓(軽里)の伊岐谷にあった「伊岐宮(イキノミヤ)」を嘉永年間(1624〜1643)末期に古市村の産土神と して現在地に移したものと言われている。 また、10分ほど歩いた所に環濠を備えた前方後円墳の日本武尊白鳥陵があった。 日本武尊は景行天皇の皇子で、西は熊襲、東は蝦夷を平らげた英雄で、景行天皇43年(AC113)三重県 西北部能褒野(ノボノ)で崩じた。年は30歳であった。 日本書紀では、「能褒野」の墓から白鳥となって大和の「琴弾原(コトヒキハラ)」(奈良県御所市)、更に河内の 「古市の村」に留まった。そこで夫々に命の墓を作られたけれども、白鳥ははるかな天空をめざして飛び 去った。 人々はこの3つの墓を白鳥の墓と言う、と伝える。 社 殿 濠が巡らされた前方後円墳 一見、池に浮かぶ小山のようだ。 能褒野に崩ります。 時に年三十なり。 ー中略ー 伊勢国の能褒野陵に葬りまつる。 時に日本武尊、白鳥になりたまひて、陵より出でて、倭国を指して飛びたまふ。 群臣等、因りてそのみひつぎを開きてみたてまつるに、明衣のみ空しく留りて、屍骨無し。 是に、使者を遣して白鳥を追い尋めしむるに、則ち倭の琴弾原にとどまれり。 よりて其の処に陵を造る。 白鳥、更に飛びて河内に至り、旧市邑の留れり。 亦 其の処に陵をつくる。 故、時のひと、其の三陵をなづけて白鳥陵といふ。 然して遂に高く翔りて、天に上りしかば ただに衣冠のみを葬りまつる。 因りて功名をつたへむとして、即ち武部を定む。 是歳、天皇践祚しし四十三なり。 (「日本書紀」巻第七 景行天皇) |
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