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坂越浦沿いの道から少し入ったところに大避神社(オオサケジンジャ)が鎮座していた。 この神社は秦河勝(ハタノカワkツ)を祀る。 秦河勝は聖徳太子の死後、蘇我入鹿の乱を避け、坂越にたどり着き、千種川流域の開拓に尽くした。 秦河勝の墓といわれる円墳が、大避神社正面の沖の生島(イキシマ)にある。 神社を巡っていて、拝殿隣の絵馬堂に古い絵馬に混じって、旧宮内省楽部の岡正雄氏や宮内庁楽部の東儀 俊美氏が、立派な絵馬を最近奉納しているのに目を引いた。 古川の鶴林寺の創建に係わったと伝えられることぐらいしか知らない。 そこでWikipediaの秦河勝(ハタノカワkツ)に関する記事を見ると、猿楽(能楽)の祖でもあり、観阿弥、世阿弥父子は 河勝の子孫と称していたし、楽家として知られる東儀家も河勝の子孫であると言う。 それで絵馬堂に、宮内省楽部の岡正雄氏や宮内庁楽部の東儀俊美氏が絵馬を奉納している謎が解けた。 宝珠山の山裾、坂越浦に面して建っている。 延享3年(1746)再建 石段の上に建てられていた。 神 像 神門の左右には神像が安置してあった。 仁王像 神門の裏の左右には仁王像が安置してあった。神仏混淆の名残りだろうか。 拝殿は延享3年(1746)、本殿は明和6年(1769)再建 祭神は秦河勝(ハタノカワカツ)、天照皇大神、春日大神 数えてみると約40もの絵馬が奉納されていた。中には280年前の貴重な船絵馬も現存している。 祭礼用和船「楽船」が安置してあった。 平成10年(1998)元宮内省式部職楽部の岡正雄氏奉納。 氏は絵馬にはっきりと楽祖秦河勝後裔を名乗っている。 平成13年(2001)宮内庁楽部元主席楽長東儀俊美氏奉納 |
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は秦河勝といえば、聖徳太子に使えた渡来系の豪族で、京都太秦に住み、

