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近鉄長野線貴志駅前に「小野妹子之墓」と「聖徳太子御廟」と刻した立派な石造標柱が2本立っていた。 やや見にくい案内地図を見ると、東の数キロ先には北西から南東に斜めに、日本最古の官道といわれる竹 内街道が通り、周辺(磯長の里といわれる)には聖徳太子御廟のある叡福寺をはじめ、用明天皇陵、推古天 皇陵、敏達天皇陵、孝徳天皇陵、小野妹子墓などが点在している。 これらを廻ってみるのもおもしろそうだが、準備の都合上、聖徳太子御廟のある叡福寺と太子の乳母の墓 の西方寺に限ることとした。 駅前から金剛バスの乗り、約10分の「太子前」で下車すると目の前が叡福寺だった。 石段の上には南大門が聳え、道を挟んで反対側に隔夜堂が建っていた。 叡福寺は山号を磯長山(シナガサン)、聖徳太子の御廟を守護するために建立された寺院で、もとは古義真言宗 金剛峯寺の末寺であったが、戦後、真言系単立寺院となっている。 「下の太子」の大聖勝軍寺(八尾市)、「中の太子」の野中寺(羽曳野市)、とともに「上の太子」と並び称 「聖徳太子御廟」と「小野妹子之墓」と刻した立派な石造標柱 叡福寺門前 向って右手前に「聖徳皇太子磯長御廟」と刻した廟所標が建っている。 天正2年(1574)兵火で焼失し、慶長年間(1596〜1615)に再建 老朽化のため昭和33年(1958)再々建したもの。 左右に金剛力士像を安置し、南大門から一直線上に御廟が見える。 南大門の金剛力士像 隔 夜 堂 道を挟んで反対側に建つお堂。本尊の阿弥陀如来坐像(石造)で平安末期か鎌倉初期の作と言われている |
摂河泉風土記
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