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西方院は叡福寺とは道を挟んで向かい合う浄土宗の寺院で、山号は南向山。 叡福寺隔夜堂の前に「聖徳太子御乳母三尼御廟所西方院」の標柱が建ち、その路地のような上り坂の 参道を行くとすぐに西方寺の門前に着いた。 推古天皇30年(622)聖徳太子崩御の後、その乳母という3人の侍女が落飾し、御廟の前に創建した最古の 尼寺だそうで、もとは叡福寺の塔頭で「法楽寺」と呼ばれていたそうだ。 境内はこじんまりとしており落ち着いていた。境内の南隅、鐘楼近くに三尼供養塔が建っていた。 西方院門前 聖徳太子の死後、乳母だった月益(蘇我馬子の娘)、日益(小野妹子の娘)、照姫(物部守屋の娘)の3人は剃髪し、その名も善信、禅蔵、恵善と称し、太子御廟の前に一宇を建立した。 本尊は阿弥陀如来 3尼は太子の遺髪を納め、太子自作の阿弥陀如来像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求したと伝えられる。 新西国霊場第八番札所 |
摂河泉風土記
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