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徳川家康は元和2年(1616)駿府城で死去、享年75歳。 駿府の久能山に葬られ、一年後下野国日光に改葬 された、と云うのが定説である。 しかし、これを覆す様な伝説が堺の南宗寺にある。 徳川家康は、実はその前に戦死していた。密かに埋葬され、墓は堺の南宗寺開山堂下にあるというのだ。 それを裏付けるように、2代将軍秀忠、3代将軍家光がわざわざ南宗寺を訪れているし、歴代堺奉行は赴任 の際南宗寺を参拝している、と云うのだ。 この伝承は何時生れたのか知らないが、情報が隠されがちな当時、僅かな情報からの憶測が生んだ 伝説が長く続いているのは面白いと思った。 重層の様式で山内最古の建物、下層は茶室 内部に元和9年(1623)徳川秀忠次いで家光両将軍の御成りをを記した板額が掛かる。 このことや東照宮が祀られていることなどにより、徳川家康が後藤又兵衛の槍に刺され、開山堂の下に埋葬されているという伝説が残った。 江戸初期建立 重文 戦災で焼失した東照宮の本殿、拝殿に通じる門。 徳川時代には堺奉行赴任の際は常に南宗寺に参拝したといわれる。 文政年間(1918〜1930)の建築といわれた東照宮は空襲で焼失し、その後に東照宮跡碑が昭和42年(1967)建立。 開山堂は昭和20年(1945)空襲で焼失。 徳川家康の戦死埋葬碑の伝説がある、かって床下にあった卵形の無名碑。 |
摂河泉風土記
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