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堺の街をぶらりぶらり歩いていると、開口(アグチ)神社が目に入った。 面白い名前と思って境内に足を踏み入れた。 開口(アグチ)と云うのは旧村名からきていることが分ったが、神功皇后が創建に係わることが分った。 神功皇后が三韓より石津浜に上陸され、塩穴松原にて忍熊王(オシクマノミコ)の反乱を平定するべく戦勝祈願の 祈祷をしたおり、老漁師が赤目魚(鯛)を献上した。 神功皇后はそのことを吉祥の証と喜ばれ、八重潮路に向う地に、塩土老翁(シオツチオジ)の御霊をお祀せよと の詔により開口(アグチ)神社が創建されたという。 その後、天永4年(1113)開口(アグチ)村、木戸村、原村の3村の神社の併合により、三村宮、又は三村明神 とも称されるようになった。 地元では「大寺さん」とも呼ばれているらしい。 天平18年(927)行基により念仏寺が建立され、神仏習合の霊地となった。 その後、室町時代の応永32年(1395)朝廷の祈願所になり、さらに応永34年(1397)幕府の祈願所ともなり、 堺の街の中心となった。 そのことで、当神社を単に大寺と称えることにより、民衆の気持ちを表したのかと思える。 昭和39年(1964)再建 祭神 塩土老翁神(シオツチオジノカミ 元開口村の神) 素盞鳴神(スサノオノカミ 元木戸村の神) 生国魂神(イクタマノカミ 元原村の神) 狛 犬 向って左の狛犬は足元に子狛犬が寄り添っている。 境内の隅にあった。 塩土老翁神(シオツチオジノカミ)が影向の時、この石に腰掛け、その後に住吉へ向われ住吉の神になったとも、行基上人と法談した場所とも、弘法大師と対面された時の御座所とも言われる石。 因みに、開口神社は江戸時代には住吉奥之院とも称せられた。 |
摂河泉風土記
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