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須永は先へ立つ敬太郎の得意に振り動かす洋杖(ステッキ)の影を見てまた苦笑した。 柴又の帝釈天の境内に来た時、彼らは平凡な堂宇を、義理に拝ませられたような顔をしてすぐ門を 出た。(夏目漱石「彼岸過迄」須永の話13) 柴又帝釈天(経栄山題経寺)の境内には二天門、帝釈堂のほかにも堂宇が建ち並んでいた。 帝釈堂の横に並ぶように本堂(祖師堂)、その前左に、江戸時代末期建立という当山で最古の建築・釈迦堂 (開山堂)が建ち、本堂の正面には南大門が建っていた。 また、二天門の北側には四手先の豪壮な枡組みと、全体に木彫を配した大鐘楼が建っていた。 こうしてみると、柴又帝釈天(経栄山題経寺)の堂宇は、ほとんどが明治以降に建てられ、整備された ものだった。 しかし、こうした堂宇も明治の文豪夏目漱石は興味がなかったらしく、明治45年(1912)発表の「彼岸過 迄」では「平凡な堂宇」と言っている。 境内(本堂と釈迦堂) 本堂(祖師堂) 明治21年(1888)建替、昭和54年(1979)帝釈天本尊出現二百年記念事業の一環として大改修。 本尊は大曼荼羅 釈迦堂(開山堂) 江戸時代末期建立 釈迦牟尼仏立像(白鳳時代作)を安置、 当山を開いた題経院日栄上人と中興の祖である亨貞院日敬上人の木像を奉祀している。 二天門が帝釈堂の前に建つのに対し、南大門は本堂の前に建っていた。 昭和30年(1955)完成 |
関東紀聞
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