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絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小さなたとえ、この五右衛門の目からは万両 最早日も西に傾き 誠に春の夕暮れの 桜はとりわけ一入一入 ハテ麗かなながめじゃなア
( 歌舞伎「楼門五三桐」石川五右衛門が三門下の真柴久吉に)
京都市営地下鉄蹴上で下車し、傾斜鉄道(インクライン)跡に沿って歩くと南禅寺参道に来た。南禅寺参道両側は桜並木となっているが未だ裸だ。1ヵ月後には桜が見事だろう。 その、並木の奥は湯豆腐屋が並ぶ。桜の季節に食べに来ようと思う。 参道を進むと、やがて南禅寺の中門が建ち、その横の片隅という感じで勅使門が建つ。 中門をくぐると、三門が目に入った。 早速、山廊より三門の楼上に上ると、山内が眼下に収まる。 桜の季節、特に夕暮れともなれば、石川五右衛門でなくても大見得を切りたくなることだろう。 南禅寺が明神山の山裾に広がり、三門は、前の勅使門、後の法堂と一直線に配置されているのが分る。 ただ、放生池や仏殿が見当たらない。本来なら、勅使門と三門の間に放生池、三門と法堂の間に仏殿があ るのだろう、と想像した。 三門からは以上の堂宇の境内配置のほか、周囲の塔頭寺院や専門道場の建物も眺められた。 後でそれらをゆっくり巡ることにしようと思いながら三門を下りた。 寛永18年(1641)御所の「日の御門」を築地と共に移築したもの 重文 三 門 南禅寺の三門は天下竜門と号し、楼を五鳳楼という五間三戸二重門、重文。 文安4年(1447)焼失後、寛永5年(1628)藤堂高虎が再建した。 五右衛門がいた桃山時代の頃は建っておらず、歌舞伎の様に彼が上るはずが無い。 高欄を附した廻り縁を廻らし、 内部は本尊・宝冠釈迦坐像、脇侍・月蓋長者、善財童子を安置し、 その左右に十六羅漢を配置している。 内部の極彩色は狩野探幽、土佐徳悦の合作と伝えられている。 |
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