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南禅寺は山号を瑞陵山、正式名は太平興国南禅禅寺という、臨済宗南禅寺派の大本山である。 創建は正応4年(1291)、開基は亀山天皇、開山は無関普門、日本最初の勅願禅寺とされる。 建武元年(1334)後醍醐天皇は五山の第一としたが、至徳3年(1384)足利義満は自ら建立した相国寺を 五山に加えるため、南禅寺を「五山の上」として「別格」に位置づけ、京都五山と鎌倉五山に 分割したといわれている。 明徳4年(1393)、文安4年(1447)の火災、および、応仁元年(1467)応仁の乱の兵火で伽藍を尽く焼失した。 南禅寺の復興が進んだのは慶長10年(1605)徳川家康のブレーンで黒衣の宰相といわれた以心崇伝が入寺し てからである。 明治期になり、疏水事業の一環として、境内を横切るように水路閣が建設された。 建設当時は格式あるお寺とのミスマッチとして反対運動もあったらしいが、煉瓦造りという所為であろう か、今では、すっかり周囲と溶け込んでいる感じがする。 三門に向かって右前に建つ巨大な石燈籠 佐久間勝之が奉献したもので 高さ6m余 法 堂 明治28年(1895)炬燵の不始末で焼失し、明治42年(1909)再建 中央に本尊釈迦如来、脇侍に文殊菩薩・普賢菩薩を安置する。
水路閣
疏水事業の一環として施工された水路橋。延長93.2m、幅4.1m、水路幅2.4m 煉瓦造り西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計施工されたもので、土木技術史上極めて貴重。 まるで古代ローマの水道橋を思わせる。 アーチ構造の優れたデザインが京都を代表する景観の一つとなっている。 流れは蹴上ダムからの疏水分線で、 南禅寺トンネル等を通り哲学の道方向に、 毎秒2.5tの水が流れる。 水路閣近くの山腹の上に建っていた。 |
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