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尻無川に架かる若松橋を渡り、木津川に沿って歩く、京セラドーム(大阪ドーム)の前を過ぎ、やがて阪神 高速16号高架下をくぐると、本田小学校があった。 その本田小学校の一隅に、「川口居留地跡」碑が建っていた。 関西で外国人居留地と言えば神戸だが、大阪にもあったのだ。 幕府が5カ国と結んだ安政条約(1858)により慶応4年7月29日(1868年9月15日)東京、神戸、新潟と共に大阪 も開港した。 同時に川口は外国人居留地と定められ、26区画が外国人に競売され、大阪川口居留地の歴史が始まった。 明治19年(1886)には10区画が増設された。 また、居留地に接する本田、富島、古川、梅本町も外国人雑居地となった。 しかし、川口は、水深が浅い為貿易商は良港を有する神戸に移り、貿易港としては発展せず、ミッション 系学校や病院等が並んだ。 明治32年(1899)7月居留地が廃止されると、雑居地からの華僑(主に山東省出身者)が進出し中国人街とな った。 第二次大戦で焼け野原となり、戦後は倉庫街となったりした。 碑のある場所は旧雑居地の位置に当たり、旧居留地で残っているのは川口基督教会くらいで、 これも現在の建物は大正9年(1920)建てられたもので、往時の面影は残っていない、と言えよう。 昭和36年(1961)大阪市が建てたもので、 本田小学校一隅にある。 明治24年頃の区割り 当時は木津川対岸の江之子島に大阪府庁舎(1926年大手前に移転)、大阪市役所(1912年堂島浜に移転)があった。 |
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