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JR神戸駅近くの湊川神社に在る「楠木正成の墓」を参拝した時から、楠木正成ゆかりの寺・河内の観心寺に いきたいと思っていた。 そう思ってから随分時間が経った。 そこで気候も良いので出かけてみた。 南海電車高野線河内長野駅で下車し、「石見川、金剛ロープウエイ、小吹岩行き」のバスに乗り込む。 バスは金剛葛城のハイカーで満席だった。 約15分、「観心寺」バス停で下りる。 既に自然豊なところであったが下りたのは 一人だけだった。直ぐ目に付く本坊門を過ぎ、寺の築地塀に沿って歩くと、駐車場があり、そこには観心講記念碑、や楠木 正成の騎馬像が建ち、この寺が楠木正成ゆかりの寺であることを示していた。 山門から境内に入ると直ぐ、後村上天皇旧跡碑、や正成が学んだという中院があり、南北朝時代に入り込 んでいく気がした。 楠木正成ゆかりの建物史跡としては、中院のほか、後醍醐天皇が正成に外陣造営の勅を出した金堂 があった。 これらについては次稿以降に紹介する。 国道301号線に面し、バス停から直ぐ目に入る。 奥に通じる勅使門、本坊は修理工事中で素屋根が覆われていた。 国道301号線に面する駐車場の端に建つ 国道301号線に面する駐車場に建つ。 昭和49年(1974)再建 楠木正成所縁の寺であることが分る。 国道に面する。 門前には史蹟標「史蹟観心寺」や 寺号「勅願道場南朝史蹟観心寺」 の石標が建つ 山門は朱色に塗られた四脚門である。 寺の正面に造られた楼門を普通山門と云うから 現在のものは、もとは中門だった。 塔頭の惣持院跡である。 正平14年(1359、延之4年)後村上天皇は 惣持院に約10ヶ月間行宮(アングウ)を置いた。 参道は緩やかな登り坂道になっている。 参道の置くには国宝の金堂が建ち、 参道途中の向かって左側に中院、 右側に鎮守堂(訶梨帝母天堂)、拝殿が建つ 中院は開山道興大師実恵(ジチエ)の弟子真紹が創建した塔頭 楠木正成の曽祖父が再興し、楠木家の菩提寺となった。 楠木正成は8歳から15歳までの学問所で 僧滝覚(リュウカク)に学んだと言われる。 金堂前石段下に鎮座する鎮守堂(訶梨帝母天堂) を見上げる様に建つ 一間社春日造 桧皮葺 重文 興国5年(1344)後村上天皇が楠木正成の長子・正行(マサツラ)に命じて再興したといわれるが、 現在の建物は天文18年(1549)再興。 慶長19年(1614)豊臣秀頼の命により片桐且元が修理している。 観心寺の鎮守訶梨帝母(カリテイモ=鬼子母神)を祀る。 訶梨帝母(カリテイモ=鬼子母神)はインドの神で 子授け、安産、育児の守り神である。 |
摂河泉風土記
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