ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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八坂神社、円山公園を東に抜け、長楽寺の門前に着いた。

灯篭の並ぶ長い上り坂の参道を登り、その先の山門をくぐり、境内に入ると、八坂神社前の雑踏がまるで

うその様な静寂さがあった。そしてさらに石段が続いていた。

円山公園からいくらも距っていないのに将軍塚を背に負う山ふところの一劃だけに、ここらは人の

往来が少ない。しもたや風の家々も門口の掃除をしませて、打ち水の湿りがしっとりと見る目を

おちつかせてくれる。

築地をめぐらしたささやかな山門をくぐると、山腹の傾斜にそって石段がのび、それが尽きるあたりに

重層瓦葺きの、風格堂々した本堂が遠望された。(杉本苑子「女人古寺巡礼」)

長楽寺は山号を黄台山と号し、かっては天台宗の寺であったが現在は時宗の寺である。

:)が訪れたのは、文治元年(1185)安徳天皇の母・建礼門院徳子が僧・印誓について剃髪したところで、その

旧跡を訪ねるためであった。

平清盛の娘であり、高倉天皇の中宮であり、安徳天皇の母である建礼門院徳子は、元暦2年(1185)3月24日

壇ノ浦で海に身を投じたものの源氏の武者・渡辺眤(ムツル)に熊手で引き上げられ、捕われてしまった。

文治元年(1185)4月26日捕われに身として、再び都の土を踏んだ。

そして、5月1日には、東山の長楽寺で落飾した。

かくて女院は文治元年五月一日 御ぐしおろさせた給ひけり。 御戒の師には長楽寺の阿証房の

上人印誓とぞきこえし。 御布施には、先帝の御直衣なり。 今は時まで めされたりければ、

その御うつり香もうせず、御かたみに御らむぜんとて、西国よりはるばると都までもたせ給ひたり

ければ、いかならん世までも御身をはなたじとこそ おぼしめされたけれども、御布施なりぬべき物

なきうへ、かつうは彼御菩提のためとて、泣く々とりいだせ給ひけり。

上人是を給はって、何と奏する旨もなくして、墨染の袖をしぼりつヽ泣々まかりいでられり。

此御衣をば幡に縫うて、長楽寺の仏前にかけられたるとぞ聞こえし。 (「平家物語」潅頂巻 )


平家物語の、この下りを読んでいると、誰もがほろりとしてしまうだろう。

物語に語られている安徳天皇の御衣の幡、安徳天皇御幡由緒や建礼門院御影像は収蔵庫で、

織田長好寄進の御幡箱を本堂で、安徳天皇御衣御幡の複製等を庭園拝観所で拝観することができた。


イメージ 1 参道


イメージ 2 山門


イメージ 3 本堂
寛文6年(1666)造営の愛宕郡西加茂村(現 北区西加茂)の正伝寺仏殿を明治23年(1890)移築したもの。
本尊は最澄自ら彫ったと伝わる准胝観音像で二頭の龍に跨った珍しいで、厨子に安置されている秘仏
徳川2代将軍秀忠と正室お江の娘・東福門院和子が寄進した厨子と
織田長好寄進の御幡箱、
京の七福神の一つ布袋像が拝観できた。

イメージ 4 厨子
徳川2代将軍秀忠と正室お江の娘・東福門院和子が寄進したもの
歴代天皇即位の時のみ御開帳


イメージ 5 平安の滝
落飾した建礼門院や法然上人の高弟隆寛律師等の修行の場
水は奥院からの山の地下水が流れ出ており糸のように細い流れであった。
しかし、八功徳水(ハックドクスイ)と言われ、
8つもの御利益がある名水である


イメージ 6 イメージ 7
                                平安の滝の石組
滝の廻りの石組の中に弁才天など8体の石の仏と両側周辺に無数の石仏が祀られている。


イメージ 8 建礼門院塔
元々長楽寺山山腹八丁台の景勝地に建っていたが、明治初年この地が国有地になった為、現在地に移された。
髪をおろした時の御髪塔と伝える。
一説には建礼門院の舎利塔とも言われる。


因みに、建礼門院は9月に大原の寂光院に移りそこで余生を過ごしたとされる。

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