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是の神風の伊勢の国は、則ち常世之浪、重浪(シキナミ)帰する国なり、傍国(カタクニ)のうまし国なり、 是国に居なんと欲ふ (「日本書紀」巻第六 垂仁天皇) 天照大神が伊勢のこの地に降臨したのは約2000年前の第11代垂仁天皇26年(BC4)のことである。 当初天照大神は、倭大国魂神と共に宮中に祀られていた。 しかし、崇神天皇6年(BC92)、二神の神威を畏れ、天照大神を豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に託して大和の 笠縫邑(カサヌイノムラ)に祀り堅固な神域を立てた。 垂仁天皇25年(BC5)豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)から倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に替えた。 そこで、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)は天照大神を鎮め祀るべき地を求めて大和から丹波、紀伊、伊賀、近江、 美濃、尾張を回って伊勢に入った。 「伊勢の国は常世の波が絶えず寄せてくる。大和の国のそばにあるすばらしい国であるから、ここに鎮ま りたい」と冒頭の有名な神託により、倭姫命は、五十鈴川を上り、そのほとりに宮を建てられた。 神宮外宮(豊受大神宮)から神宮内宮(皇大神宮)へはバスで移動した。10分ほどであった。 鬱蒼と木々が生い茂る神路山と島路山を源とする五十鈴川に架かる宇治川をわたる。 整然とした神苑を過ぎ、参道途中の御手洗場で五十鈴川の水に手を浸す。 この後、森厳で重厚な気配を感じさせる杉木立の参道を歩けば、天照大神を祀る正宮の前に来た。 やはり第一の格式を誇る神宮だけあって、平日であるにも係わらす、参拝者が絶えることが無い。 「伊勢の神宮ほど清冽な霊気に打たれる聖域はない」と誰かの本に書かれていたが、その通りかも知れな い。しかし、それは人の列が絶えた後の静寂さが戻ってきた時ではないか、と思った。 宇治橋は長さ101.8m、幅8.42m 檜造りの橋 俗界と聖界の架け橋と言われる。 橋の内側と外側に高さ7.44mの大鳥居が建つ。 大鳥居は内・外宮の旧正殿の棟柱が用いられている。 橋は62回式年遷宮の4年前に当る平成21年(2009)に架け替えられた。 鬱蒼とした神域の杜が広がる。 五十鈴川は、長い旅の後、この地に至った倭姫命が、裾の汚れを濯いだという伝承から「御裳裾川(ミモスソガワ)」とも言われる。 御手洗場 ここで五十鈴川の水で手と口を清める。 坂十仏「伊勢太神宮参詣記」に「此河は世の滅尽せんときに濁るべしと神託あり」と記されている。此河とは五十鈴川であることは言うまでもない。広大な神域の鬱蒼とした森がこの清流の源であることを思えば、最近の乱開発や、自然破壊がここにも及ぶようであれば、本当にこの世の終りだと思わずにはいられない。 正 宮 四重の御垣内の奥に、天照大神を祀る正殿が建つ。 正殿の千木(チギ)は先端を水平に切る内削(ウチソ)ぎ 伊勢にまかりたりけるに、大神宮に参りて詠みける
榊に清らかな木綿を垂らして一心に祈れば、神も仏であることだ、というこの歌から神と仏が一体だとみ なす本地垂迹思想である。伊勢神宮も「神仏混淆」の流れに飲み込まれていたことを示している。
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東海紀行
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