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「蒼い怒涛がはてしもなくつづいて、鴎が白い波がしらを這ってとんでいた。 砕け散る荒波の飛沫が崖肌の巨巌いちめんに雨のようにふりそそいでいた。 巨大な石の孟宗をおし並べたように奇岩が海中に走っている。 私はそれをじっとみつめていた。 だが、私の心に、死のうといった気持ちは不思議にうかばなかった。」 ( 田宮虎彦 「足摺岬」) 旅館にはすっかり暗くなった頃到着したので、今朝になって気が付いた。 窓から見る景色は、青々とした海原が広がる太平洋だった(不思議と波の音は耳にしなかった)。 朝食を終えた後、早速海岸おりてみた。海岸沿いに遊歩道が造られており、それにそって足摺岬の先端燈 台まで行った。 下りた浜はアロウド浜と云う小さな丸い石ころの浜であった。 小石の浜の「アロウド浜」を歩き、海食でトンネル状になった白山洞門、最先端に位置する燈台と見てま わった。 足摺岬は、東の室戸岬と向かい合う四国最南端の岬である。 そこに位置する燈台は約80mの海食断崖となっている。先端に立つと180度以上に大海原が広がっていた。 そして、眼下を見ると断崖の下では白い波が、繰り返し押し寄せ、渦まいていた。 ここはかっては自殺の名所だったらしいがなんとなく納得ができる。 そう言われる様になったのは、昭和24年(1949)発表された田宮虎彦の「足摺岬」からか、それともそれ以 前かは知らない。 田宮虎彦の「足摺岬」は、自殺するつもりで訪れた青年が、死に切れず、逆に病に罹り、宿に泊まってい た戊辰戦争の死を覚悟していた武士の生き残りと云う遍路の老人、やはり宿泊人で行商の薬売り、宿のお 内儀、その娘八重の親切な介抱で、回復し生きていく決心をする物語である。 その18年後、死ぬことを期待されながら死の機会を失った特攻隊崩れの義弟が、新たな生きる意味をみつ けられないでいる姿が描かれて終わっている。 冒頭の文章は、主人公の青年が回復し再び断崖に訪れ、自殺の意思が無いことを確認した箇所である。 燈台近くに田宮虎彦の文学碑があり、「砕け散る・・・ふりそそいでいた」の文が刻まれていた。 近くには、ジョン万次郎の像、万次郎足湯、薄暗い林の中に「木の股地蔵」や四国八十八ヶ所第38番札所 「金剛福寺」等があった。 案内図 海食により形成された断崖があっちこっちにある。 白山洞門 花崗岩が海食されてトンネル状になっている。海食洞門としては日本一とか。天然記念物 足摺岬 断崖の下は、太平洋上に睥睨する台風11号と12号の所為か、それとも普段のことか白波が大きくたてていた。 燈台は大正3年(1914)設置された。昭和35年(1960)現在のロケット型に改築された。 中浜万次郎(ジョン万次郎 1827〜1898) 近代日本最初の国際人、中ノ浜出身 1841年出漁中遭難するが、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号のウイリアム・H・ホイットフィールド船長に助けられる。船長の生地フェアヘーブンで学校教育を受けると共に見聞を広める。1851年帰国後その国際知識をかわれて幕府直参となり、1860年には遣米使節の加えられるなど開国に向け大役をはたす。 広い視野に立ち、日米交流の礎を築いた万次郎の功績は、国際化時代の今日ますます意義深いものとなっている。(説明板より) 像の後は四国八十八ヶ所第38番札所「金剛福寺」で森の中から多宝塔が覗いている。 木の股地蔵 樹木のトンネル道の奥にあった。 木の窪みに石の地蔵様が安置し、生花が手向けられていた。 由緒もご利益も分らないが、旅の安全を祈願した。合掌 ここから白川洞門が眼下に眺められた。 |
四国紀行
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