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四国の最南端の足摺岬、そこは80m余の断崖で、その上に白亜の燈台が建っていた。 その燈台の直ぐ北に、四国八十八ヶ所の第38番札所金剛福寺が建っていた。 第37番札所の岩本寺から約81km、次の第39番札所の延光寺には約61kmもある。 四国八十八ヶ所霊場の中でも、果にある寺なのだ。 その昔、この寺に苦難の末、やっとの思いでたどり着いたお遍路さんの安堵と喜びはいかばかりだったろ うか? そして目の前に青々とした大海がひろがっている。 参道脇の国道321号沿いに「渡海僧之碑」が設けられていた。 大海を渡海し補陀洛浄土を目指す補陀洛信仰は紀州熊野が有名だが、九州の南端でもあったし、四国でも あった。 四国では、三十八番の金剛福寺で渡海する人々が足摺岬の突端から船出したといわれている。 戦国時代以降盛んに行われたそうだ。 は、足摺岬の先端に立った時、ある種の恍惚に襲われた。 は信仰の輩ではないが、海の果に何かがあると思っても不思議ではない、と思った。なお、足摺岬という地名も補陀洛信仰に関係があることを、白洲正子が、鎌倉時代中後期に成立した「問 はずがたり」から紹介していた。 昔、寺で修行していた坊さんの所へ、毎日現われる小坊主がいた。 坊さんは一人の稚児を召使っていたが慈悲深い少年で、その小坊主が来る度に食事を与えたが、あまり度 重なるので今後は与えてはいけないと、きつく戒めた。 稚児が悲しんでいると、小坊主がそのことを聞き、では一緒に自分の住家に行こうといって連れ出した。 不思議に思った坊さんが、後を追って行くと、二人は小さな舟に乗って、沖へ漕ぎ出してゆく。 ふと気がつくと、小坊主は観音の姿と化し、稚児は菩薩に変じていた。 とり残された坊さんは、浜辺に立って足を摺り、自分の不明を恥じて泣き叫んだという。 (白洲正子 「古典の細道」) 足摺岬は、そのような伝説が生れても不思議に思わない、外洋に面した絶壁の眺めであった。 海に見立てた池の中央に、宝塔を形取った船を表す石組み 池の縁には5体の石仏が並べられていた。 参道の奥は仁王門 仁王像
本 堂
本尊は千手観世音菩薩前に祈願成就の大きな亀の像が置かれていた。 空海が亀の背に乗って、足摺岬の先の海中にある不動岩に渡り修行したという言い伝えがある。
本堂の庇の下に安置してあった。 頭を撫でてきた。 |
四国紀行
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は、足摺岬の先端に立った時、ある種の恍惚に襲われた。
は信仰の輩ではないが、海の果に何かがあると思っても不思議ではない、と思った。

