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青岸渡寺境内と熊野那智大社の境内は隣り合わせになっていた。 と言うより、青岸渡寺の本堂の隣に熊野那智大社の6つの本殿が建っているのだ。 この配置こそ熊野三所権現の名残りで、那智山の歴史を物語っているという。 熊野三所権現は、長い間神仏混淆の歴史を経て、明治の初めの神仏分離・廃仏毀釈により、熊野速玉大社 と熊野本宮大社にあった仏殿は全て破却された。 しかし、那智山だけは如意輪堂(現、青岸渡寺本堂)が残され往時の姿を留めているのだ。 社伝によれば、神武天皇が那智山中に光輝く御瀧を見つけ、大己貴命(オオナムチノミコト)を祀った。 仁徳天皇の御世(313〜399)、社殿を御滝全体が見渡せる現在地の山腹に遷し、主祭神を熊野夫須美大神(フ スミノオオカミ)を祀ったのが那智大社の創建と伝えられる。 御縣彦社(ミアガタヒコシャ)を含め7棟ある本殿は戦国時代焼失したが、豊臣秀吉が再興、江戸中期と昭和10年(1 935)大改修され、現在に至っている(いずれも重文)。 天気はどす黒かったが、建物の朱が鮮やかであった。 「那智山熊野権現」の額を掲げた朱塗りの鳥居 先に続く各建物も同じように鮮やかな朱塗りだった 拝 殿 背後に本殿5殿(重文)が並ぶ。 右から、大己貴命(オオナムチノミコト)、家都御子(ケツミコ)大神、御子速玉大神、熊野夫須美大神、天照大神らを祀る。 左端一部は御縣彦社(ミアガタヒコシャ)、いずれも重文 台風12号での被害か石垣が崩れたりしていた。 |
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那智勝浦町文化財:下里古墳の副葬品を指定 鉄剣など67点、考古資料は初
那智勝浦町教委は、国史跡「下里古墳」=同町下里=から出土したガラス小玉、鉄剣などの副葬品67点を、町文化財に指定した。42件目の文化財で、考古資料の指定は初めて。
下里古墳は4世紀後半から5世紀初めに築造された前方後円墳で全長50メートル。1972年の発掘調査で石室内部から碧玉製大型管玉1点、ガラス小玉58点などが見つかった。ガラス小玉は、色調がコバルトブルーで直径0・4〜0・5センチ。同町二河の町教育センターで保管している。
町教委の土屋孝司さんは「出土遺物は、古墳の歴史的、地理的意味や背景を考察するうえで重要な役割を果たす。卑弥呼の時代から150年後の古代熊野を考察する上で欠くことのできない重要史料であるところに価値がある」と話している。
2012/3/12(月) 午後 7:43 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]