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瀧尾神社を過ぎ、右(東)に折れ泉涌寺道に向かって一橋小学校の南側をぶらりぶらり歩いていると、右 (南)側エノキの木の下に、大きな自然石の記念碑らしきものが据えられていた。 近くに立てられていた説明板によれば、「夢の浮橋跡」とのこと。 今は暗渠となって橋がなくなっているが、昔は今熊野川(一橋川)が流れ「夢の浮橋」が架かっていた。 この橋は、仁治3年(1242)崩じた四条天皇をはじめ、歴代天皇、皇妃等の墓所が多い泉涌寺に詣でる本道 に架かる橋で、古くから大路橋、もしくは落橋と呼ばれていた。 「夢の浮橋」という名は、源氏物語・宇治十帖の「夢の浮橋」に因み、この娑婆世界の無常の様が、夢の 如く、また浪に漂う浮橋の如くはかないものであると言う例えからとったと伝えられている。 なお、今熊野川(一橋川)は泉涌寺の後の山を源として、今熊野の南をめぐり、一の橋の下を流れて鴨川に 合流していたという。 夢の浮橋跡 夢の浮橋跡といわれる場所に、泉涌寺の僧・道円の歌が刻まれた自然石の碑が据えられていた。 「ことはりや 夢の浮橋 心して 還らぬ御幸 志はしや止めむ 」 因みに一週間ほど前の朝歩いた時は、碑の前が、家庭ごみの集積場になっていた。
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随分以前に、亡父から、一の橋、二の橋、三の橋、と言う、東福寺・鳥羽街道付近の橋の事を聞いた事が有ります。
また、若いと言うか、子供の頃? 夢の浮橋の近くに、『夢の浮橋』という名前の喫茶店が有りました。
数回ですが、寄った事が有ります。
うろ覚えの橋の欄干の端っこ部分の石碑と、違うので…焦っています。
(^^ゞ
2012/3/25(日) 午前 1:58