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感田神社から北に向かって数分歩くと貝塚寺内町の中心寺院・願泉寺が建っていた。 願泉寺は平成16年(2004)から平成23年(2011)の7年間の予定で「平成の大修理」を実施していて、既に終 了しているようだ。 しかし、境内の整備はなお実施中で、太鼓堂近くでは何やら建設工事をしていた。 願泉寺は、山号が金凉山、浄土真宗本願寺派の寺院で、貝塚御坊とも呼ばれる。 元々は、自刻の阿弥陀如来を安置する為、行基が建てたと伝えられる草庵である。 天文14年(1545)無住であった草庵に、紀州根来寺から卜半(ボクハン)斎了珍を迎え、一向宗の街造りが始め られた。 石山本願寺から寺内町に取り立てられ後、天正5年(1577)には、その支城として織田信長と戦い、 町は焦土化した。 その後、寺も町も再興され、天正11年(1583)紀州鷺ノ森より顕如上人を迎え、同13年(1585)大阪天満に移 るまでの2年間、本願寺御堂となった。 江戸時代には、町は願泉寺の寺領とされ、住職の卜半家の支配が続いた。 願泉寺の名は慶長12年(1607)第12世准如上人から授けられたもの。 平成の大修理を終えた本堂、太鼓堂、表門及び附として鐘楼、築地塀、目隠塀は重要文化財の指定をうけ ているものである。 表門は延宝7年(1679)再建 四脚門 重文 表門左右の築地塀は寛文11年(1674)築 重文 築地塀越に太鼓堂(重文)が覗く 表門正面の冠木長押(カブキナゲシ)上に龍の彫物がある。 元禄3年(1690)作の銘があるそうだ。 表門扉には透彫で装飾され、 表門はこのほか四周組物間に透彫の彫物を置くなど全体的に極めて装飾性が高い。 江戸時代築 重文 柱間三間の築地塀 背後の大きな建物は本堂 表門の正面に位置する。 寛永3年(1663)再建 重文 本尊:阿弥陀如来立像 桁行27.8m、梁行27.0m 外陣外回りは蔀戸、周囲に広縁を廻している 広縁の端には、板戸となっており、雉と桜の絵が描かれていた。 本堂から見て、境内の右手に建つ。 鐘楼は、元禄13年(1700)築、昭和23年(1948)移築 重文 旧鐘楼は戦災で焼失したので、昭和23年貝塚市森の廃青松寺の鐘楼を移築したもの。 吊られている梵鐘は鎌倉時代のもの。(府文化財指定) 本堂から見て、境内の左手に建つ。 太鼓堂は享保4年(1719)再建 重文 切石積の基壇の上に建つ重層の建物。 下層は方3間、四方に花頭窓がある。 上層は方2間、格狭間形の窓があり、中央に巨大な太鼓を備えている。 |
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