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貝塚から水間鉄道に乗り執着の水間駅まで行く。10駅 15分ほどだった。 この水間鉄道は貝塚市域の臨海部と内陸丘陵部約5.5kmを結んでいる。 もともとは大正15年(1926)名前の由来ともなっている水間観音への参拝客輸送の為に設立された鉄道 だ。 水間駅から10分ほど歩くと、目指す「水間観音」こと「水間寺」に着いた。 平成22年(2010)完成した石造りの「厄除け橋」を渡り境内に入ると、三重塔と本堂が目に入った。 水間寺は、山号を龍谷山、天台宗別格本山で、聖武天皇勅願により行基が開創した寺である。 本尊の聖観音菩薩像は「厄除観音」の名で親しまれており、厄除け、縁結びにご利益があるとか。 早速、東北地方の一刻も早い復興を祈願に本堂に向かった。 三重塔・本堂 三重塔は、かっては多宝塔で多宝如来を安置していた。 古い記録では孝謙天皇が、舎利塔を安置したと伝える。 天正の兵乱で焼失したので萬治年間(1658〜1661)改めて三重塔を建て、釈迦如来を安置した。 その後、失火焼失したので天保5年(1834)再建している 井原西鶴の「日本永代蔵」に記載された「水間寺の利生の銭」は、三重塔の前身の多宝塔建立の説話がモデルと言われている。 なお、この三重塔は江戸時代のもので現存する大阪府下唯一。 天正13年(1585)の兵火(秀吉の根来攻め)と天災で焼失したのを、文政10年(1827)岸和田城主・岡部長愼により再建。 本尊:一寸八分(約5.5cm)の聖観世音菩薩(秘仏) 外陣正面には大きな提灯がぶら提げられ、 その前に鰐口が取り付かれていた。 写真には入っていないが、縁の端には 賓頭盧尊者が置かれていた。 新西国第四番霊場
本堂広縁で裏側に回ると 普賢菩薩像が安置してあった。 本尊の観世音菩薩像が図柄になっている。 初午に乗ってくる仕合せ 江戸にかくれなき俄分限 泉州水間寺利生の銭 (昔、水間寺には賽銭を借用して翌年倍返しする風習があった。ある時、若い男が銭一貫を借用を申し出、寺は名前も国元も聞かず貸してしまった。その後音沙汰がなかったが・・・) その人の住所は武蔵江戸にして 小網町のすゑに 浦人の着きし舟問屋して、次第に家栄えしを よろこびて、掛硯に「仕合丸」と書付け、水間寺の銭を入れ置き、猟師の出船に、子細を語りて、 百文づつかしけるに、借りし人自然に福ありけると遠浦に聞き伝えて、せんぐりに毎年集まりて、 一年一倍の算用につもり、十三年目になりて、元一貫も銭八千百九十二貫にかさみ、東海道を 通し馬につけ送りて、御寺につみかさねければ、僧中横手打ちて、そののち詮議あって、 「末の世の語り句になすべし」と、都よりあまたの番匠をまねきて宝塔を建立、有難き御利生なり。 (井原西鶴「日本永代蔵」巻之一) |
摂河泉風土記
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