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境内にお夏清十郎の墓があると、Nさんから聞かされていた。 が知る「お夏・清十郎」といえば、寛文2年(1662)、大店の娘・お夏と、手代・清十郎の駆け落ち事件で、結局二人は捕まり、清十郎は死罪、お夏は気が狂ってしまうと言う悲恋で、浄瑠璃、歌舞伎、その他文芸 作品の題材となっていて、広く知られている物語だ。 また、(まだ訪れてはいないが)お夏清十郎の墓が姫路城下慶雲寺にある。 それが何故、水間寺に?と思った。 しかし、こちらの「お夏・清十郎」は身分の垣根を越えて恋愛成就するという、全く時代も筋も違う物語 であった。 二人の墓は、恋愛成就のご利益のある愛染堂の前庭にあった。 この物語を題材にした映画が作られたのであろう、往年の大スター田中絹代、林長二郎(長谷川一夫)が 奉納した花筒が置かれてあった。 縁結びの仏様・愛染明王を祀る。 恋愛祈願、良縁祈願に訪れる参詣者が多いそうだ。 愛染堂 本尊は、行基が椿の木から刻んだと言われる愛染明王、 中を覗いても仏様の御姿は良く分らなかった。 本尊が椿の木を刻んだ仏様ということで、図柄は椿の花であった。 お夏清十郎の墓 高さ1.5mほどの宝篋印塔で塔身には梵字が浮き彫りされている。 前の一対の石造花筒には(向かって左に)田中絹代、(右)林長二郎の名が刻まれている。 「お夏清十郎」の物語は、境内に建つ、それをを刻んだ碑によると次の通りだった。 鎌倉時代末のこと、伏見天皇の勅使が水間寺を参拝した。随身に山名清十郎がいた。 勅使供応に出た地元の豪農・楠右衛門の娘・お夏は、清十郎と相思相愛の中になるが、身分の違いで別れな けばならなかった。 しかし、清十郎を忘れる難いお夏は、水間寺の愛染明王に、毎夜再開を祈願した。 やがて、南北朝の戦が始まり、清十郎は南朝方として出陣し、住吉渡辺橋の戦で敗者の身になってしま う。それを聞いたお夏は、戦場に赴き清十郎を探し求める。 愛染明王の御加護により、住吉の松原で巡り会い、水間に手に手にとって帰った。 山名清十郎の生存を知った北朝方は、水間に追手を差し向けた。 その時、清十郎の家来・山名忠平が身代わりになって首を討たれた。岸和田淨円寺の首塚がそれである。 その後のお夏と清十郎は仲睦ましく暮らした。 とまれ、伏見天皇は永仁6年(1298)に譲位している。また、南北朝の戦が始まるのは元弘元年(1331)だ。 と言うことは、お夏が清十郎に再会したのは30年以上経ていることになる。 愛染明王の御加護をもってしても、恋を成就するにはこれぐらいの時を必要とする、と言うことなのか? 元禄年間(1688〜1704)に建立 本堂と愛染堂の間に位置する処に建つ。 |
摂河泉風土記
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