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雨が盛んに降っていたが、時間があったので、久し振りに浅草寺を参拝し、同時に境内を巡ってみること にした。 まず、浅草の顔として知られる「雷門」に行く。 流石に、雨にも関わらず観光客で賑わっていた。 雷門から仲見世通りの名で知られる参道が続き、宝蔵門(旧仁王門)、本堂と一直線に並んでいる。 雷門は浅草寺の参詣の入口に当る「総門」なのだ。 雷門の創建の始まりは天慶5年(942)平公雅といわれるが、現在の建物は、慶応元年(1865)浅草田原町の 大火で焼失した後、昭和35年(1960)松下電器(現パナソニック)創業者の松下幸之助の寄進によって再建された もので鉄筋コンクリート造である。 正面から左側に雷神、右側に風神を祀ることから、「風雷神門」というが通称「雷門」といっている。 それ故、古川柳で 「門の名で みれば風神 居候」(「誹風柳多留」72 )と詠まれている。 雷門と記された大提灯を提げた門をくぐり裏側には、天龍、金龍の龍神像が安置されたいて、 これら4神は浅草寺の護法善神として伽藍守護・天下泰平・五穀豊穣の守り神とされている。 浅草の顔と言われるだけあって雨にも関わらず人出が多かった。
風雷神像
向かって左側に虎の皮の褌を締め、連鼓を打つ姿の雷神と、右側に鬼面蓬髪、風袋担いで天空を駆ける風神が、安置されていた。 二像の頭部は慶応元年(1865)火災で残ったもので、体部は明治8年(1877)仏師塩川蓮玉によって「浅草寺志」掲載の像を模して復元されたものだそうだ。 風雷神を安置することは、天下泰平、風雷順時、伽藍守護のため (「浅草寺志」)
龍神像
雷門の裏側には、向かって左側(風神の裏側)天龍、右側(雷神の裏側)女神の金龍が安置してあった。平櫛田中、菅原安男作で、昭和53年(1978)安置されたものだ。 大提灯の底を覗くと、底には竜の彫り物がしてあった。 |
関東紀聞
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