ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

関東紀聞

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友人達とは、小田原で遅めの昼食を執った後、1年後の再開を約して解散した。
 
幸い雨はやんでいる。 は、時間があると思ったので近くの小田原城祉公園に行った。
 
小田原駅から東海道線に平行に伸びる道路「お城通り」を5分ほど歩くと旭丘高校に突き当たりその裏が小田原城址公園だった。
 
公園内を1時間ほど巡ったが、公園内には再興された天守閣をはじめ、常盤木門、馬出門、銅門や隅櫓などが再興あるいは復元されてあった。
 
町の中心にあり、緑豊な公園は、天気がそれほど芳しくないにも関わらず多くの市民が訪れていた。
 
小田原城が始めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられる。
 
その後、16世紀初めには戦国大名の北条氏の居城となった。
 
北条氏は関東支配の拠点として次第に拡張し、豊臣秀吉の小田原攻めに備えた時は、城下町を囲む延長9kmの及ぶ総構の出現により、城の規模は最大に達した。
 
北条氏滅亡後、徳川家康の家臣大久保氏が城主になると城は近世城郭の姿に改修された。
 
大久保氏改易後、城は破却されるが、寛永年間(1624〜1644)に稲葉氏が城主になると再び改修工事が実施され城の姿を一新する。
 
大久保氏が再び城主になるが、元禄16年(1703)の地震により天守をはじめ、城内の各施設はほぼ倒壊焼失してしまう。
 
その後、本丸御殿を除き再建され、小田原城は関東地方の防御の要衝として幕末まで存続した。
 
明治3年(1870)廃城となり、売却された後次々と解体された。
 
城跡は御用邸時代を経て、地元自治体に払い下げられ、本丸を中心に「城祉公園」として整備されている。
 
イメージ 1
馬出門と隅櫓
馬出門土橋(現めがね橋)から城内に入り、馬出門から住吉橋、銅門(アカガネモン)に向かう。
 
 
 
イメージ 2
 
馬出枡形
二ノ丸正面に位置する重要な門
寛政12年(1672)に現在の姿になった。
馬出門枡形は馬出門と内冠木門(ウチカブキモン)の2つの門と周囲を土塀で囲まれた範囲をいい、2つの門は控柱にそれぞれ屋根がつく高麗門
平成21年(2009)に復元
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
 
住吉橋
天守閣へ通じる登城ルート
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
 
銅門(アカガネモン)
二ノ丸の表門、扉の飾り金具に銅を使用したことからこの呼び名が付いたといわれる。
平成9年(1997)復元
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5
 
常盤木門(トキワギモン)
本丸の正面で、最も大きく堅固に建てられていた。
常盤木とは常緑樹の意味で、門の側にあった松になぞらえてこの名が付けられたといわれている。
多門櫓と渡り櫓から構成される枡形門形式。
昭和46年(1971)再建
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6
天守閣
宝永3年(1706)に再建され江戸時代を通じて存続したが、明治3年(1870)の廃城により取り壊された。
現在の天守閣は昭和35年(1960)宝永年間の再建時作成された引き図(設計図)や模型を参考に
鉄筋コンクリート造で復興されたもの。
 
城内には巨木が残っていて往時を偲ばせる。
 
イメージ 7
 
ビャクシン
目通幹回り:3.1m
株元周囲:約3.9m
樹高:約15m
主幹は地上約4.5mで2つの支幹にわかれ、
各々が枝葉を伸ばして樹冠を形造り、
石垣で囲んだ盛り土の上に立っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
 
イヌマキ
目通幹回り:4.5m
株元周囲:約6m
樹高:約20
主幹は左巻に捩れ、地上5mほどのところで4支幹に分岐している。
 
 

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