ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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神戸から長浜まで、新快速で乗り換えなしの2時間少々で来られた。

長浜駅のほぼ西側、琵琶湖東畔に、緑豊で蝉の鳴き声が賑やかな豊公園が広がっていた。

長浜は、天正元年(1573)羽柴(豊臣)秀吉が織田信長より浅井氏の旧領の大部分江北3郡12万石が与えら

れ、初めて城持ち 大名に出世した地である。

秀吉は今浜に城を築き長浜と改めると共に、現在の長浜の礎を築いた。

秀吉の長浜の在城は7年と長くはない、また秀吉の築いた長浜城は元和元年(1615)廃城になった。

しかし、秀吉は長浜の人々に強く印象付け、愛され続けられてきた。

豊公園は明治43年(1910)琵琶湖畔に長浜城天守閣跡を中心に整備され緑豊な公園である。

ただ、炎天が続く日の午前ということであろうか、人影はまばらであった。


イメージ 1長浜城歴史博物館
昭和58年開館。
鉄筋コンクリート造 城郭様式の博物館




イメージ 2旧長浜領境界碑
長浜城歴史博物館敷地内に建てられていた。
長浜は秀吉によって特別に町屋敷の年貢米300石を免ぜられていた。
この特権は徳川幕府にも認められ、他地域と区切る為の石碑が江戸時代初め長浜町の周りに30数本建てられたといわれている。
この境界碑は「是より東長浜領」、「是より南長浜領」と刻まれており、もとは長浜町の西北隅に建っていたと思われる。




イメージ 4天守閣跡碑
長浜城は天正2年(1573)から翌年にかけて秀吉が築いた城である。
その後、山内一豊など4人の城主が入ったが元和元年(1615)廃城になった。
このように長浜城の歴史は約40年にすぎない。
天守閣跡碑の近くに豊臣秀吉の像が建っていた。



イメージ 3本丸跡
慶長11年(1606)内藤信成が大規模修築している。
又、秀吉時代の絵図古文書の類がほとんどない。
このことから、秀吉時代の城は良く分っていない。
二重の堀に囲まれた水城だったと考えられているそうだ。



イメージ 5太閤井
琵琶湖水際にあった。



イメージ 6

                            大正御大典記念燈籠
先に「太閤井」があるが、松で隠れている。




イメージ 7四阿
宝形造 鉄板葺
大正7年(1918)現長浜幼稚園あたりに開設された運動公園「長陽園」にあったが、昭和初期移設された。

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長浜・湖北・湖東のことを書いていただいたブログをサイト上で紹介させていただき、これからこちらに来られる方の参考にしてもらいたいと考えています。
そこでもしご了解していただければ、こちらのブログ記事「秀吉への思いが造った公園、豊公園、長浜市」を掲載させて頂きたいので、コメントかメール(info@e-ohmi.net)でお返事をいただければ嬉しいです。
また、このブログのおじゃまをしてしまいました場合は、たいへんお手数ですがこのコメントの削除をお願いいたします。

2012/8/20(月) 午前 9:44 [ プロクルー金澤 ]


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