ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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竹生島港からほぼ真直ぐ伸びる急峻な石段がある。

直接数えた訳ではないが、165段あるという。

石段を上り始めて最初に竹生島神社の鳥居建つ。

そのすぐ先に「巌金山(ガンコンサン)」と記した扁額が掲げられた鳥居が建っていた。

その鳥居の前には「竹生島 宝厳寺(ホウゴンジ)」の寺標が建ち、背後(奥)には「本尊大弁才天」の石標が

建っていた。

鳥居をくぐり、石段脇の「瑞祥水」、「弁才天燈籠」、「鐘楼」と過ぎて上っていくとやがて、左側参道

奥に本堂(弁才天堂)が聳えていた。

宝厳寺は、山号を「巌金山(ガンコンサン)」と号し、真言宗豊山派に属する寺院である。

神亀元年(724)聖武天皇は、夢で天照皇大神より「江州湖中に小島あり、弁才天降臨の聖地なり。

堂塔伽藍を建立して祭供すれば、国家太平五穀豊熟万民利益多からん・・・」との神託をうけ、行

基を竹生島に派遣した。

行基は竹生島に小堂を建立し、自刻の弁才天を祀った。これが寺の開創とされる。

平安末期には天台の修験僧によって弁才天信仰が盛んになり、同じく水神である古来の島主・浅井姫命と

習合し、弁才天降臨の霊地として敬われ神仏混淆の特徴を色濃く内包しながら発展した。

しかし、明治の神仏分離により、それまでの弁才天社は都久夫須麻(ツクブスマ)神社本殿となり、本尊の

弁才天は仮安置されていたが、篤い信仰心は今般の戦時下にも関わらず弁才天堂(本堂)を完成させた。


イメージ 1 鳥居
鳥居の後に「瑞祥水」湧き、「本尊大弁才天」の標柱が建っている。



イメージ 2 瑞祥水
弁才天の託宣により平成14年(2002)掘られた霊泉。
深さ230m(湖底下約130m)より汲み揚げられている。




イメージ 3 弁才天燈籠、鐘楼
弁才天燈籠は貞享元年(1684)建立
鐘楼は、上部櫓は朱色、下部腰板は黒色


イメージ 4

                               本堂(弁才天堂)
昭和17年(1942)竣工 本尊:大弁才天(厳島、江島と共に、日本三弁天の一つ)
神仏分離によって、本尊弁才天像はそれまでの弁才天社を出、塔頭妙覚院の仮堂に仮安置された。
昭和12年(1937)6月弁才天堂の起工式が行われた。
しかし、翌月には盧溝橋事件が発生、日中戦争が勃発し、再建事業も中止状態になった。
この事態を憂慮した東京在住の事業家滝富太郎は自ら再建局長の任に就き、広く篤志を募る一方、巨万の私財を投じ、遂に昭和17年(1942)10月太平洋戦争中にも関わらず完成させた。



イメージ 5 外陣



イメージ 6 奉納された達磨
外陣正面に多数奉納されていた「幸せ願いだるま」
願い事を書いた紙を達磨のお腹に丸めて入れ奉納



イメージ 7 不動明王と竹生島流棒術発祥地之碑
本堂左前に並んで立っていた。



イメージ 8 五重石塔
鎌倉時代作 重文
初重塔身の四方には4仏が浮き彫りされ、台石の格狭間の形や、各重笠石の返りの形状から鎌倉時代の特徴が見られる。
五重石塔で重文の指定を受けている7基の一つ。
相輪の下部のみは後補






イメージ 9 三重塔
平成12年(2000)再建
江戸初めまで存在したが、落雷により焼失し以降なかった。
中世以降竹生島の宮大工を勤めた阿部家に残っていた設計図を参考にして6年の歳月をかけて建立した。

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2012/8/22(水) 午前 9:28 [ opy282a20zb0z3b ]


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