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国道2号線を西に向って走り、東加古川を過ぎ、加古川市野口地区に入ると北側に教信寺の看板を見つけ 参拝によってみた。 四脚門の総門を潜り、境内に入るとツクツクボーシが盛んに鳴いていた。 見渡すと,思ったより広い境内には、本堂、開山堂、薬師堂が建ち、西側には教信上人の廟所があった。 教信寺は山号を「念仏山」と号する天台円宗の寺で、平安時代活躍した教信上人(沙彌教信)の庵跡に建て られたもので、地元では「野口の念仏っあん」と呼ばれ親しまれている。 教信上人は天応元年(781)奈良で生まれ、興福寺で学んだ後40年余り諸国を行脚し、賀古の駅(加古川)に 庵を結んだ。 教信上人はひたすら念仏を唱えながら仏の教えを説き、土地の農民や街道行く旅人の手助けするというも ので、国道南側の「駅ケ池」も教信上人が農民と共に拓いたものだという。 貞観8年(866)遺骸は庵の傍に捨て鳥獣に施して欲しいと遺言して没した。 時の帝、清和天皇が教信上人の徳を偲んで、この地に観念寺を建てた。 大治元年(1126)崇徳天皇が大原良忍上人に詔して「念仏山教信寺」に改めたとされる。 天正6年(1578)羽柴秀吉の三木攻めに伴い野口城が攻略され、その時教信寺も堂宇すべてが焼かれた。 しかし、諸尊は焼失を免れ、元和年間(1615〜1625)に再興された。 平成7年(1995)の阪神淡路では、堂宇などは壊滅的被害を受けた。 その後、移築、修復復元などにより再興あるいは新築され、現在の姿となっている。 平成14年(2002)再建の四脚門 18世紀後半の建物と推定された旧総門を大震災を機に新築 腰長押を新たに取り付けた以外は旧総門をそのまま再現している。 門前には「開基教信上人死寂之地」、「天台円宗融通念仏道場」の石柱が立つ。 明治13年(1880)書写山如意輪寺(女人堂)にあった念仏堂(応永5年建立と伝わる)を移築して本堂として再建。 阪神淡路大震災で壊滅的損壊を受けたが、平成15年(2003)復元 本尊:阿弥陀如来立像 平成13年(2001)建立 阪神淡路大震災で修復不能となった観音堂に替わり、 旧観音堂の基礎の上に建立されたもの。 本尊:教信上人頭部像 教信上人没した頃、摂津国勝尾寺の僧・勝如は、教信が現われ、自らの死を告げる夢を見た。 不思議に思い弟子を加古川に走らせると、そこには頭部だけが綺麗に残った教信の遺骸があったという。 平成13年(2001)復興 薬師三尊を中央に、脇壇に大日如来と大師像を安置する。 美しい天女の像が鋳出されていた。
教信上人廟所
教信上人は貞観8年(866)8月15日没した。 元亨3年(1323)一遍上人の門弟・湛阿が勧進して教信上人廟所を造ったと伝えられる。 中央の東面にして建つ総高2.1m花崗岩製の五輪塔はその頃のものと思われる。 教信上人は一遍や親鸞にも先達として仰がれた。 殊に一遍は諸国を巡る旅の途中教信寺に泊まり、念仏踊りを興行した。 (これが播州音頭の起源であるといわれている。) 廟所境内の隅には多くの石塔や石仏が並べられていた。 |
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