ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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低視聴率で喘いでいることで評判のNHK大河ドラマ「平清盛」は盛り返しただろうか?

その平清盛の別邸「西八条殿」が在った場所と言われる若一(ニャクイチ)神社へ行ってみた。

JR京都駅から(神戸、大阪から)一つ手前の「西大路駅」で下車し、西大路通りを北に向かって徒歩5分

ほどのところ、八条通りとの交差点「西大路八条」の東北角に鎮座していた。

神社は西向き(西大路通り)に面し、社頭前には「平清盛手植えの楠」の大木が覆っていた。

瑞垣の南端には平清盛公西八条殿跡」の碑が建っていた。

木々が生い茂る境内に入ると、右手手水舎前に平清盛石像が立ち、奥左手に社殿が建ち、若一王子を祀っ

ている。

右手奥に御神水と、祇王の歌碑がある。このようにこの神社の境内は平清盛ワールドで,

逆に清盛を取ってしまうと、ごく普通の小さな神社であった。

しかし、御神水には柔らかくておいしいとかで、ポリタンク持参の人たちが水を汲んで行った。


当社の由来について、頂いたパンフレットによれば次の通り。

弘仁天皇の御世、唐の威光上人が来朝し、天王寺に住んだ。

紀州熊野に詣でた時、迷い苦しむ人々を救わんと、宝亀3年(772)御分霊・若一王子の御神体を笈に負い旅

立った。

当地に来て古堂に一夜明かした時、神意があり、神意にしたがい堂に御神体を安置した。

その後異変により土中に埋もれた。

平清盛が六波羅在住の頃、この地は浅水の森と称し風光明媚な所であった。

清盛は、承安年中に、この地に「西八条御所」と称する別邸を造営した。

仁安元年(1166)清盛が熊野詣でした時、土中に隠れたる御神体を世に出し奉斎せよ、とのお告げがあっ

た。

清盛が帰京後、邸内を探したところ東北築山より夜光を放っていたので、自ら三尺掘ったら土中より若一

王子の御神体が現われた。

そこで、社を造り鎮守し、開運出世を願ったところ、翌仁安2年(1167)太政大臣に任ぜられた。

よって、開運出世の神様として尊崇されるところとなった。


イメージ 1西八条殿跡碑
当時50余の邸があったと伝えられる。


イメージ 2平清盛手植えの楠
根元に小さな社が建てられ、ご神木となっている。



イメージ 3社 頭
宝亀3年(772)鎮座
仁安元年(1166)再現奉



イメージ 4平清盛石像



イメージ 5社 殿
祭神:若一王子
 開運出世のご利益があるそうだ。



イメージ 6御神水と祇王歌碑
御神水は神前に供えられている。
祇王歌碑には、祇王が仏御前に書き残した歌が刻まれていた。
もえ出ずる  かるるもおなじ    野辺の草           いずれかあきに あはではつべき
(春には萌え出る若葉も、枯れている枯れ草も、元は同じ野辺の草です、今は栄枯の差がありますが、いずれは清盛の寵愛が失せる秋に逢わないでいられましょうか)                                            

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nice

2012/9/22(土) 午前 0:37 [ dys29o922z34z40 ]


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