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大阪湾入り口、紀淡海峡に位置する「友が島」は、古くは葛城修験道の行場であった。
しかし、明治から第二次大戦まで、周辺の深山、加太の砲台と共に由良要塞を形成する軍事要塞として使われた。
友が島には虎島砲台と沖ノ島に第一砲台〜第五砲台の六砲台からなる砲台群を構成していた。
明治20年代当時に発電施設を設けるなど当時の最先端技術を結集し、弾丸・弾薬庫は大半地下化されていた。
約3.5㎞の散策コースでは第三砲台が最も規模が大きく、また、内部にも入ることができる砲台跡であった。
第三砲台跡では、今は水が溜まり池のようになっている砲座跡、頑丈な煉瓦積みの弾薬庫群などが往時を偲ばせた。
友が島の砲台群は、大阪湾の入り口を守っていたが、幸いなことに最後まで交戦することはなかった。
今廃墟に立ち、これが意味を持っていた時代に思いを馳せ、今「平和の果実を味わう」幸せを感じずにはいられなかった。
トーチカ(外観と内部)
友が島灯台近くの丘の上にあった。今は樹木で視界が遮られていたが、かってはここから兵士が紀淡海峡を監視していたのだろう。
小さい島は神島
第三砲台は明治23年(1890)竣工
大砲(28cm榴弾砲)8門備えていた。
4区画に各2砲座
一つの砲座は直径3.5m
第三砲台弾薬庫
この辺りの風景はよくポスターに載っている
第三砲台弾薬庫内部
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なぜ、和歌山なのでしょ?
2012/12/7(金) 午後 9:12