ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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大津から逢坂峠越えしようと旧東海道の国道161号、1号を歩く。

長安寺、関蝉丸神社下社、安養寺、関蝉丸神社上社を過ぎ、車が行き交う音を聞きながら緩やかな

坂道を登って行った。

峠の頂に達したところに「逢坂山関址」の碑が建っていた。

側に立っていた説明板によれば、「逢坂の関」の位置ははっきりしないが、長安寺から関蝉丸神社上社

辺りだったともいわれるとのこと、それでは碑を建てる位置がおかしいのでは?とツッコミをいれたくな

った。

ここで国道1号と旧東海道が分岐していた。

旧東海道に入り100mほど歩くと蝉丸神社が鎮座していた。

万治3年(1660)関蝉丸神社より分霊し創建したもので、祭神は、音曲芸道祖神の蝉丸、街道の守護神の

猿田彦命と豊玉姫命だ。蝉丸についての講釈は「関蝉丸神社」の稿で記したので略す。

社殿は、石段の上の高台に建てられていたが、石段の下の境内には旧東海道遺跡として石柵で囲まれた

「車石(クルマイシ)」が置かれてあり、旧東海道を荷車が行き交う姿を偲ばせた。

旧東海道は、この先国道1号とまた合流したり、離れたりしながら京都山科に入り徳林庵の前に来た。


イメージ 1「逢坂山関址」の碑
逢坂の関の初出は、平安建都の翌年延暦14年(795)に逢坂の関の前身が廃止されたという「日本略紀」の記述である。
その後、逢坂の関は、京都を守る重要な関所である三関(鈴鹿、不破、逢坂)の一つとして弘仁元年(810)以降重要な役割を果たしていたが、平安後期から徐々に形骸化され、その形を失っていった。




イメージ 2蝉丸神社
旧東海道に面していて、近くに京阪電鉄「大谷」駅がある。


 
イメージ 3拝 殿




イメージ 4本 殿
祭神:蝉丸霊 、猿田彦命、豊玉姫命



イメージ 5車 石(クルマイシ)
大津と京都を結ぶ東海道は、米をはじめとする多くの物資を運ぶ道として利用されてきた。
江戸時代中期の安永8年(1778)には牛車だけでも年間15,894輌の通行があった。
この区間は大津側に逢坂峠、京都側に日ノ岡峠があり通行の難所だった。
京都の心学者・脇坂義堂は文化2年(1805)に、一万両の工費で大津八町脇から京都三条大橋にかけての約12甸屬傍躰崟賤冂模として車の轍を刻んだ花崗岩の切石を敷き並べ牛車の通行に役立てた。
これを車石と呼んだ。

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