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那谷寺は、前稿で述べたが、養老元年(717)泰澄により創建され、平安時代中頃には花山法皇が中興の祖 となり伽藍を整えられ、隆盛を誇ったが、中世に度々の兵火に遭い衰微した。 しかし、江戸時代に入り、加賀藩三代藩主前田利常がその荒廃を嘆き、後水尾天皇の勅命を仰ぎ、 慶長17年(1640)から4年かけ伽藍を整備した。 利常による復興がなされ、まだ日がたっていない頃の元禄2年(1684)松尾芭蕉が訪れている。 芭蕉は「おくのほそ道」に次の様に記している。 山中の温泉(イデユ)に行くほど、白根が嶽跡に見なしてあゆむ。 左の山際に観音堂有り。 花山の法皇三十三所の順礼とげさせ給ひて後、大慈大悲の像(観音像のこと 観音像安置は花山法皇 以前のこと)を安置し給ひて、那谷と名付け給ふと也。 那智・谷組の二字をわかち侍りしとぞ。 奇石さまざまに古松植えならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。 石山の 石より白し 秋の風 (松尾芭蕉「おくのほそ道」43 ) 現在みられる古い建物はその頃造営されたもので、芭蕉が眺めた様子と大きくは変わっていないはずだ。 明治維新時、廃仏毀釈の影響を受け、一時困窮したが、昭和16年(1941)利常所縁の建築物が国宝(当時、 現在重文)に指定されて以来急速に復興しているとのことだった。 三重塔 寛永年間建立 重文 高さ11m 木組みが美しい 内部に、元金堂にあった鎌倉時代作の胎蔵界大日如来坐像を安置している。 三重塔ー鎮守堂をつなぐ、鋼鉄製の橋 鉄骨コンクリート造り 白山妙裡大権現を祀る。 白山妙理大権現は、十一面観音が垂迹(スイジャク 仮の姿)で現れた白山神。 前は展望台となって正面に奇岩遊仙境が望まれる 芭蕉は元禄2年(1684)8月5日(旧暦では秋)那谷寺を訪れた。 芭蕉句碑(写真左)には次の句が彫られていた。
芭蕉句碑の近くにあった。 青面金剛の石像が立っていた 古来より庚申塚は村々の辻道に祀られ、村人を疫病から守る神として信仰されてきた。 那谷寺ではいつの頃からか、この神様を「縁結びの神」として信仰されてきたとのこと。 護摩堂 寛永年間再建 重文 内陣には智証大師作と言われる平安時代作の不動明王を安置している。 寛永年間復興 重文 寛永時代朝鮮より請来した鐘を吊っている |
北陸紀行
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