ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

摂河泉風土記

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JR京都線島本駅前の「桜井の驛跡」東側の西国街道を山崎、京都方向に向かって歩いた。

10分ほど歩き、案内標識に従って右手に折れると、目の前に樹木が生い茂った水無瀬(ミナセ)神宮の前に

着いた。

社前の鳥居から木立に覆われた参道が続いていた。




水無瀬神宮の祭神は後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇

後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮跡で、往時は桜、山吹、菊の名所として知られ、上皇も行幸、歌合せ、

蹴鞠、狩猟、刀剣鍛作業なども行われたという。

「増鏡」にも、後鳥羽上皇が水無瀬(ミナセ)離宮を愛された様子を、

水無瀬というところに えもいはずおもしろき院づくりしてしばしば通ひおはしまつゝ春秋の

花の紅葉につけても御心ゆくかぎり世をひゞかして 遊びをのみぞしたまふ。

・・・・・・

かくて院の上、ともすれば水無瀬殿にのみ渡せ給て、琴笛の音につけ、花紅葉の折々にふれて、

よろづの遊びわざをのみつくしつゝ、御心ゆくさまにて過ごさせ給ふ。 (「増鏡」上 第一) 

などと記している。

しかし、承久3年(1221)承久の変により、後鳥羽上皇は隠岐、土御門上皇(後鳥羽天皇第一皇子)は土佐(後

に阿波)、順徳上皇(後鳥羽天皇第三皇子)は佐渡に配流、夫々の地で崩御された。

「承久記」(慈光寺本)によれば、後鳥羽上皇は配流前に精魂を傾けて造営した水無瀬離宮を「今一度見た

い」と望んだが許されず、無念の気持ちを残しつつ京を後にしたという。




隠岐での後鳥羽上皇は、水無瀬の離宮を最後まで気にされ、次の歌を詠まれたと伝えている。

  軒端あれて たれか水無瀬の 宿の月 すみこしまゝの 色やさびしき(「増鏡」上 第三)

(軒端も荒れて、今は誰一人見る者もいない水無瀬の離宮の月は、自分が住んでいた頃と同じく
その光は澄んでいるだろう。しかし、その色はどんなにか寂しいことだろうか)

延応元年(1239)後鳥羽上皇は、都へ戻ることなく延応元年(1239)2月22日崩御された。

此所労さりともさりとも思へども、日に随ひ大事に成れば、おほやう一定と思いてある也・・・・水無瀬

井内(イノウチ)両庄、相違なく知行して、我が後生をも返す返す弔うべし(「後鳥羽天皇宸翰御手印置文」)

(この病がまさかと思うが日に日に重くなるので、おおよそこれまでの命と思っている。・・・
水無瀬と井内の二つの荘園を間違いなく所領として支配し、我が後生を弔ってほしい)

崩御される13日前の2月9日に、この離宮を管理して、ひたすらその帰りを待っていた参議・水無瀬信成

(ノブナリ)・親成(チカナリ)父子に、左右の手印を推した御置文(国宝)を上述の様に書き残し、永く後生の菩提を

弔うように依頼した。

そこで、後鳥羽上皇崩御後、この離宮跡に聖廟を建て、上皇の御影を奉安し、弔ったのが水無瀬神宮の

始まりである。

世に「水無瀬御影堂」と称し、明治初年まで神仏混淆の行事が行われていた。

明治6年(1873)水無瀬宮と改め、3上皇をを合祀、更に昭和14年(1939)水無瀬神宮と改称した。




それほど長くない参道の先の神門をくぐると、明るくひらけ、客殿、拝殿が目に入った。

寒さ厳しい時期にも係わらず、日が出ていた所為か暖かく感じられた。

神門近くの手水舎には、名水百撰の水を求めて、多くの人が訪れていたが、拝殿に向かう人はわずかで

あった。



イメージ 1水無瀬神宮社頭




イメージ 2水無瀬駒発祥地碑
参道脇に立つ。水無瀬家でつくられた将棋駒
安土桃山時代、水無瀬家13代兼成は能筆で、将棋駒に文字を書き天皇、将軍、公家、大名に納めた。




イメージ 3神 門
4本柱で切妻屋根の医薬門
向かって右柱に石川五右衛門の手形がある



イメージ 4石川五右衛門の手形
石川五右衛門は文禄年間(1592〜96)の大盗賊。
神宝の太刀を盗もうと7日7夜忍び覗っていたが神威にうたれ、1歩も門内に入れず、門柱に手形を残して立ち去ったと伝えられる。
金網で保護されている所為で良く分からなかった。




イメージ 5離宮の水
神門をくぐり直ぐ左手に手水舎があり。
その井戸水は昭和60年(1985)環境庁指定「名水百選」に入っているとのこと
大きなポリタンクを持った人々がひっきりなしに訪れ水を汲んでいった。




イメージ 6

                               客殿・拝殿
客殿は豊臣秀吉寄進で、福島正則が造営奉行を勤めた。南と西に広縁が付いている。重文
拝殿は昭和4年(1929)改築
  奥に京都御所の内侍所の旧材で建立、後水尾天皇、明正天皇、東福門院和子(マサコ)寄進と伝えられる  本殿が建つ
境内中心に六角形のおみくじの結び棚があり、まるで白い花が咲いているようだった。




イメージ 7拝殿内部
正面上方にに後鳥羽天皇の像(複製画)が掲げられ、
その左右に近年天皇行幸を証した牌が並ぶ。
正面菊花紋の奥が本殿



    関 連 記 事



三千院門前から勝林院に向かう  :   後鳥羽上皇・順徳天皇大原陵、法華堂

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