ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

摂河泉風土記

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水無瀬神宮を参拝した後、西国街道に戻り、山崎に向かって歩いた。

もとより気の利いた料理屋などある町ではないのは分かっていたから、一時しのぎに体をぬくめさえ

すればいいのである。 饂飩屋の灯を見つけて酒を二合ばかり飲み、狐饂飩を二杯たべて、出かけに

もう一本正宗の罎を熱燗につけさせたのを手に提げながら饂飩屋の亭主が教えてくれた渡し場の出

というのを河原の方へ下っていった。(谷崎潤一郎「蘆刈」)

この文は谷崎潤一郎の小説「蘆刈(アシカリ)」の一節で、主人公が、水無瀬宮を参拝した後、

男山の麓の橋本へ行こうと、この辺りのうどん屋できつねうどんを食べ、正宗の熱燗を手に渡し場へ

向かう場面である。

そう思ってキョロキョロしていたら「かぎ卯」という屋号の瀟洒な店のうどん屋があった。

勿論建物や代などは変わっているだろうが、谷崎がモデルにしたうどん屋はきっとこの店だろうと一人合

点した。

ならば渡し場もあるかなと思い、東側を走る新幹線、阪急電鉄線をくぐり、淀川河畔の方まで出てみたが

渡し場跡らしき場所は見あたらなかった。



再び街道に戻り、街道を進んでみると、JR京都線の西側にはCMでもお馴染みのサントリー山崎蒸留所が

あった。

工場見学ができるらしいが、今回は蒸留器が置かれてある門前より写真を撮るのみにした。

西国街道沿道には風格のある民家が散在する。

それを見ながら、なお山崎方向にぶらりぶらり歩いていると、右手に関大明神社が鎮座していた。

傍の説明板によれば、かってはそこに関戸院(セキドノイン)があったという。

ここら辺りでは東正面に、淀川を挟んで、石清水八幡宮が鎮座する男山が眺められる。

「平家物語」では平家一門が都落ちして行く際の記述の中で、

山崎の関戸院に、玉の神輿をかきすゑて、男山を伏し拝み、平大納言時忠卿「南無帰命頂来、

八幡大菩薩、君をはじめ参らせて、我等都へ帰し入れさせ給へ」と祈られけるこそかなしけれ。
                                      (「平家物語」巻第七 一門都落)
と、記している。

平氏が盛んな頃「平家にあらざらん人は人に非ず」と放言した、アノ時忠が、都に帰らしてくださいと、

男山の石清水八幡宮にひれ伏して祈ったのもここからだろう。



関大明神社の北側に「従是東山城國」の標柱がたっており、大山崎町に入った。

ほどなく、離宮八幡宮の前に着いた。JR山崎駅はその西側だ。



イメージ 1 かぎ卯
西国街道沿いのうどん屋
谷崎潤一郎「蘆刈(アシカリ)」にうどん屋が登場する。




イメージ 2 イメージ 3
                            サントリー山崎蒸留所
テレビCMでもお馴染み  事前予約制らしいが工場見学ができる。




イメージ 4 イメージ 5
                         街道沿いの民家と門前の芭蕉句碑
西国街道をぶらりぶらり歩いていると、街道に沿って風格のある建物を幾つか散見する
その中でも白塀の立派な民家、門入り口には芭蕉句碑までも建っている。
句碑は「ありがたき 姿おがまん 杜若(カキツバタ)    芭蕉」とあった。




イメージ 6 関大明神社
祭神;大巳貴命(オオナムチノミコト)、
   天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
創建時期不明 
この地が古代摂津国と山背国(後の山城国)の関所である「山崎の関」跡と言われ、関守神、又は辻神を祀ったのが起こりではないかと思われている。
この関所は当時交通の要であり、時には朝廷が兵を派遣し守らせるほど重要な所だった。
しかし、平安時代初め頃には関は廃されていたらしく、その跡地には関戸院(セキドノイン)という施設が置かれ、藤原道長や平家一門など貴族や官人の宿泊に利用されていたようである。
現在の本殿は室町時代中頃建てられたと思われる。(説明板より)



イメージ 7 国境を示す標柱
関大明神社の北側に建つ
「従是東山城國」と刻まれている

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