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上御霊前通りを西に行く。 堀川通りに出るところに小公園(天神公園)があり、その北隣に水火天満宮が鎮座していた。 祭神は菅原道真、学問の神様であるが、ここでは水難火難除けの神としても知られている 延長元年(923)醍醐天皇の勅願により、水難火難除けの守護神として延暦寺の尊意大僧正が、菅原道真の 神霊を勧請し創建されたという。 もともとは、西の上天神町にあったが、堀川通りの拡張にともない、昭和27年(1952)現在地に移転した。 堀川通りに面して建つ鳥居をくぐり境内に入る。 左側に社務所、右側に出世石、登天石、乗馬禁止の石標、などがあり、奥に社殿(拝殿、本殿)があった。 境内のしだれ桜が見事との評判であるが、まだ蕾だった。 鳥居に向かって右に大きな石標と小さな石標が建っている。 大きな石標は「日本最初 水火天満宮」と刻まれている。 勅命により最初に菅原道真を祀った神社と言うことらしい。 小さな石標には「孝学堂跡」と刻まれている。 孝学堂は江戸時代、天満宮の宮司が開設した学問塾。 手前拝殿、奥に本殿だ建っていた。 登天石:延喜3年(903)菅原道真は左遷先の太宰府で没した。その死後都では天変地異が相次ぎ、人々は道真の怨霊のせいだと信じた。醍醐天皇は延暦寺の尊意大僧正に祈祷を依頼した。勅命を受けた尊意は早速山を下り、宮中に急いだ。途中賀茂川に来ると突如水位がまし、町へと流れ込んだ。尊意は騒が数珠をひともみして川に向かって祈りを捧げた。すると、不思議なことに、水位は下がり、真っ二つに分かれ、水流の間に一つの石が現れ、その上に道真の霊が現れ、やがて雲の中に消えていった。その石を供し「登天石」と名付けた。 乗馬禁止の石標:「是より洛中荷馬口付の乗べからず」と刻んである。 元禄8年(1695)都の出入り口30か所に木杭で表示された。享保2年(1717)石標に取り替えられた。 近年、出世した人が寄進した石 |
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