|
久しぶりに名古屋城に来て、天守閣と本丸御殿を見た後、場内をぶらぶら廻った。
前稿で述べたように、名古屋城は昭和20年(1945)5月の空襲で、天守閣、本丸御殿など多くの建物を焼失した。
しかし、三つの隅櫓と二つの門は焼失を免れ、現在は重要文化財に指定されている。
三つの櫓のうち、西南隅櫓(未申櫓)は現在解体修理中で素屋根に覆われていた。
それ以外は間近に見ることができた。
他に、明治初年の煉瓦倉庫「乃木倉庫」(登録有形文化財)、があった。
名古屋城内案内図はここをクリック
表二之門
本丸南側の門 重文
鉄板張出、太くて堅固な木割
袖塀は土塀で鉄砲狭間が開いている
東南隅櫓(辰巳櫓)
本丸の東南隅にある櫓 重文
屋根二重内部3階
南、東の出窓には石落しが設けられている
かっては武具が納められていたとか。
西北隅櫓(戌亥櫓、清須櫓)
御深井丸の西北隅に建つ櫓 重文
屋根三重、 内部3階
外堀に面する西面、北面の1階外壁には
石落しが設け屋根には千鳥破風にしている。
内側である南面、東面(写真)にも千鳥破風を設け荘重で安定感をもたらしている。
二之丸東二之門(元 二之丸東鉄門枡型外門)左:東面外側、右:西面内側
高麗門形式の門 重文 現在の東門の東側にあった門であるが、昭和38年(1963)二之丸に「愛知県体育館」を建設されるにあたり解体された。昭和48年(1973)東二之門跡に移築された。
乃木倉庫
煉瓦造り 平屋建 登録有形文化財
旧陸軍の弾薬庫
乃木希典が名古屋鎮台に在任していた明治初期に建てられたと伝えられ、誰ともなく「乃木倉庫」と呼ばれる様になった。
後に煉瓦保全のため白亜塗にされた。
本丸御殿の障壁画や天井板絵類の大半は取り外してここに保管されたため、被災を免れた。
― 付 録 ―
石棺式石室
「天守の礎石」近くにあった
島根県松江市山代町にあった団原古墳の石室。
本来は床石があって、手前に羨道を備えていた。
古墳時代後期のもので出雲地方独特の横穴式の石室である。
理由は良く分からないが、どなたかの寄贈されたもの。
|
東海紀行
[ リスト ]



