ぶらりぶらり見て歩記

最初の目論見とは異なり、最近は寺社巡りが主になりました(^o^)

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姫路に行ったついでに、妻鹿の黒田職隆(モトタカ)の廟所に寄ってみた。
 
廟所は、JR姫路から山陽電鉄で4つ目の駅である「妻鹿」駅を下車し、徒歩5分ぐらいの住宅街にあった。
 
来年のNHK大河ドラマの主人公が黒田官兵衛に決まっている所為か、駅前から職隆の廟所までの辻辻に幟や看板が立っていた。
 
黒田職隆は、御着城主・小寺氏の重臣重隆の子で、黒田官兵衛孝高(如水)の父である。
 
羽柴秀吉の播磨侵攻に際し、黒田職隆・孝高親子は天正8年(1580)姫路城を秀吉に譲り、妻鹿国府(コウ)山城に移ったといわれる。
 
国府山城は官兵衛が九州に移ってから廃城になり、城壁も石垣もなくなているとのことだ。
その確認と眺望のため、国府山に登ってみようと思ったがあまり暑いのでやめた
 
 
イメージ 1
 
黒田職隆(モトタカ)の廟所
16世紀末筑前福岡藩で直系の血筋が絶えた。
黒田家の先祖をちゃんとお祀りしてないからだとの声が起こり、藩は妻鹿にあった職隆の墓を霊屋で覆い、立派な廟所に建てなおした。
昭和36年(1961)台風で霊屋は破壊されたが、
昭和52年(1977)再建された。
 
 
 
 
 
イメージ 2
 
黒田職隆(モトタカ)の廟所
 
職隆(モトタカ)の廟所は「筑前さん」と呼ばれ、霊屋のの中に五輪塔が納まっている。
 
角礫質凝灰岩製で風化がひどく刻銘は現在判読困難な状態であるが、
地輪正面に「天正一三酉 大禅満誉宗円 定円 八月廿二日」地輪左側面に「黒田□□」の刻銘があったことが報告されているとのこと。
「寛政重修諸家譜」の黒田系図・黒田識(職)隆の条に、法名を宗円、天正13年(1585)8月22日に62歳で死去の記述がある。 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3
 
国府(コウ)山
 
国府山の頂から姫路城が眺められるそうだ。
左側は市川。
 
国府山は100mにも満たない山だが暑くてとても登る気にはなれなかった。 
 
 
 
 
 
 
 
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